ボケないための生き方

   

  記憶の中にあるこの景色を描いている。昨日の日曜展示の絵だ。写真は見ないようにしていたのだが、確かにこの景色である。写真を見て一番驚いたのは、家が沢山あることだ。そして、田んぼばかりだと思っていたら、半分位は林が残されている。記憶は都合良く出来ている。

 まだまだやり残したことがある。ボケるわけには行かない。のぼたん農園の完成まで、あと8年間かかるとみている。絵の方は最低でもあと20年は必要だろう。これは欲なのだと思うが、そういう計画を立てたのだからやり遂げるつもりだ。やりかけのまま終わる訳にはいかない。

 最近、同じ年頃の友人が病気で倒れたり、死んだりする。人ごとではない。考えておかなければならない年齢なのだと思い出すことになる。もう少しやらせてもらわなければ、自分の生きてきたことがあまりに中途半端で終わる。ここまで長生きする計画的に生きてきたのだ。

 のぼたん農園の一応の完成と、絵に結論が出るまではやらせてもらいたい。のぼたん農園の冒険のためには、あと8年間は身体が普通に動かなければ成らない。ボケるわけには行かない。今のところ普通に身体は動くつもりでいる。以前より疲れは残るが、翌日まで持ち越すようなことはない。

 確かに60代の頃は若い人と変らない速度で、たぶん若い人よりも少し早く、長く、田植えも稲刈りもしていたとおもう。今は若い人達と、同じくらいの速度で作業をしているのではないか。若い人と行っても、一緒にやっている人は、初めての人ばかりで、農業の専門家ではない。身体年齢43歳とタニタが言う。

 身体はまだ衰えたというほどではないのだと思う。一日田植えをしても、どこか身体が疲れて、筋肉痛が残るなどと言うことはない。毎日一日中絵を描いているわけだが、肩が凝るというようなこともない。何故こういう有り難い身体になったのかは分からないが、身体の動かし方が良いのではないかと思っている。

 無理なほど働かないことにしている。疲れるというほどには頑張らない。疲れるという少し前に止める、休憩を取る。このペースで働けば若い人と一緒になんとか働く事ができる。これはいつまで続くか分からないが、あと8年間は身体をもたせるつもりだ。

 毎日いくらかの農作業を続けていることが、身体の維持に良いのだと思う。さしたる事ができるわけではないが、毎日すこしづつというのは案外な結果になる。のぼたん農園の冒険の途上なのだ。70になって予定外の冒険に出たわけだが、冒険をしていることは大切なことだと今は考えている。

 出来る範囲のことをしていたのでは、人間はボケる。未だかつて人間が試みたことのないようなことに挑戦する。これが重要である。今田んぼでは3期作目のひこばえが延びている。日本では初めての挑戦だろう。失敗の連続ではあるが、困難に挑むことがおもしろいし、大切なことなのだ。

 人間冒険を忘れてしまえば、ボケる。出来る範囲のことをやっているのでは、人間は衰える。何歳になっても新しいことに挑むことが大切だと考えている。その新しい事への好奇心が大切なのだ。おもしろいぞ。是非やってみたい。こうして好奇心に従って生きる事が、ボケないためには良いのだ。

 そもそも水牛を飼ったのも70を過ぎて初めての経験である。こんなおもしろいことに挑戦できる幸せはない。動物好きではあったのだが、まさかこの歳になって水牛を飼うことに成るとは思わなかった。何でも流れに逆らわないで居れば、おもしろいことが起こるのが人生だ。

 水牛での農作業にも挑戦している。年寄がやるようなことではないのだが、何とか覚えるしかないと思いやっている。まだまだまともには出来ないが、2人でやる水牛農作業を実現したい。そのための水牛農具を研究したい。そして、未来に残したい。

 こんなことをやっているのは、日本ではのぼたん農園だけだ。おもしろそうなことは何でもやる。この好奇心こそ惚け防止である。このところ、水牛3頭を何とか手懐づけることに挑戦している。水牛は家畜と言っても野生動物である。自立心が強くて、従いたくないところがある。

 普通は紐で繋いで飼っている。のぼたん農園では放し飼いである。放し飼いの法が手間がかからない。水牛もストレスがない。餌も水も特別にやる必要が無い。完全放牧水牛である。手名付けるために、毎日近づいて触り、紐を取りしばらく引き回す。

 水牛を制御できるのは水牛を上回る気力である。怖いとか、出来るのかな。こういう状態では水牛には近づけない。完全に水牛を支配する気力を持って水牛に近づく必要がある。それは英太郎さんや、福仲先生や、島田さんの水牛の扱いを見て、学んだことだ。

 初めての挑戦と言えば、ユンボの作業を覚えたのも70歳を超えてからだ。のぼたん農園の開墾作業をやらざる得なかったのだ。今ではユンボ作業はそれなりに出来るようになった。新しいことを身体が覚えるという事が大切だと思う。頭は身体に従っているのだ。身体が良く動く内は惚けは来ない。

 ギターを弾くとか、外国語を覚える言うのもあるわけだが、ユンボ作業や、水牛作業をを覚えるなどと言う
のは別格だろう。本気でやらなければ命の危険があるようなことは、命の波動に影響する。真剣にならざる得ないような挑戦こそ惚け防止には大切になる。こうして身体を使う初めてのことをやると言うことが、惚け防止に一番だと思っている。

 直接的な惚け防止一番は毎日書くブログだ。頭を使うというのは確かだ。使っているかどうかは文章で分かる。ボケたら文章に表れることだろう。指を使って、キーボードを打つと言うことにも意味があると思っている。できるだけ早くキーボードを打つようにしている。小能と指は連動している。

 最近新しく始めたことと言えば、スマホの指打ちである。これは仕方がなくてやっているのだが、徐々に進歩してきたところである。スマホ全体の操作も新しい挑戦になっている。スマホは年寄こそ必需品である。身体の動きが鈍くなる分、スマホで行動を補う必要がある。

 今や、フェースブック、ブログ、ホームページ、ラインとやらざるえないでやっている。分からないことばかり出はじめたのだが、こうしたやったことがなかったことを、こなして行く事を避けない方が良いと考えている。不十分は致し方ない。外に開き確認をしながら自分を訓練して行くほかない。

 別段ボケないために色々やっているわけではないのだが、あれこれやることが惚け防止になりそうだとは思う。と言っても何時ボケるかも知れない。ボケの困るのはボケに気付かないところだ。このブログがボケてきたら是非教えてもらいたい。

 1,よく歩く。運動
 2,良いものを適度に食べる。体重の安定
 3,新しいことに挑戦する。意欲の再生産
 4,前向きに笑って生きる。笑いは健康
 5,自分を信じて、くよくよしない。希望を持つ
 6,人のためを考え共に生きる。自分だけはボケの元
 

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