小田原から台湾へ

   

 
 水牛のさくら、網をくぐり脱走するのを覚えたので、今は紐で繋いである。しばらくすれば、繋がないでも逃げなくなるかもしれない。入口が二重の扉になったならば、紐から放そうかとおもっている。水牛も紐がないとやはり元気が違う。放牧が一番だ。人間もその方が楽だ。

 今日から小田原生活である。一番寒い季節に、わざわざ温かい石垣島から来るのだから、身体を壊さないようにしなければならない。一昨年の冬に小田原に来て、身体がおかしくなった。今回の小田原生活には色々のことが詰まっている。今日初日の27日は、まずは溜め池の修復工事である。

 溜め池の一部で水漏れが起きていて、なかなか修復できない出来た。大きな木が石垣に根を張っていたのだ。その木が風でゆれるもので、根がだんだんに石垣を壊していった。石垣のそばに大きな木はだめだ。その木は切って半分に割り、溜め池の入口の丸太橋にしてある。

 漏れている石垣に沿って土を入れてしまい、細い道を作る。今までも途中までは道があったのだが、それを延ばすことにする。ドドノ程度の幅で出来るのかは土の量があるだけ入れたい。土をダンプ2台市が運んでくれる。セメントも小田原市が現物支給してくれることになった。

 小田原市の土地に在る溜め池で、管理責任は小田原市がしているため池である。その管理委託を里地里山協議会が受けている。以前は欠ノ上の水利組合が管理していたのだが、管理しきれなくなり、こういう形になった。ごみ捨て場に忽ちになってしまったのだ。

 この溜め池をカキツバタの群生地にする。そうすれば維持されると考えている。花は人を引き付ける。美しい花が咲いて居れば、それを汚そうとはしないと思う。また誰かがその花を、守ろうとしてくれると考えている。あと数年すれば、カキツバタの群生地と言えるだろう。

 今回市が用意しえくれた土を溜め池に入れる作業を行う。土はセメントと混ぜ込みながら、固めて行く。上の方は土だけで大丈夫だと思うが、石垣際の漏れているカ所はかなり深刻なので、泥センメントでしっかりと固める予定。人は7,8人は一輪車持参で集まってくれそうだ。

 修復地点が、土を運び込める場所から、30mある。ここを頑張って一輪車で運ぶ予定である。ともかく人手がなければできない仕事になる。天気ももう一つのようだし、どうなることか心配である。天気の回復を祈るばかりである。

 今回の工事が溜め池工事の最後のものになる。これ以上は修繕はいらないと思う。後は日常管理だけだ。2月に小田原に来たときに、草刈りをして、またカキツバタの移植をしようかと思う。昨年秋に移植するつもりが、出来なかったので、2月なら大丈夫だろう。

 28日は欠ノ上田んぼ修復工事がある。畦が弱くなっているらしい。こちらも出来ればユンボを入れて、大がかりな工事が必要だと思う。しかし、今回はそこまではやれない。今回畔直しをしながら次回の工事予定を考えておきたい。

 29日は大豆の会の味噌造りだ。いつも以上に盛大に行われるようだ。大豆も豊作だった。今回味噌造り参加費は無料である。なんと私が大豆生産量クイズのニアピン賞だったのだ。私などが当てたのはまずかったのだが、当たってしまったので仕方がない。

 30日は小麦の草取りか。玉ねぎの管理もある。どんな状態なのかは分からないが、やれることを探してやりたいと思う。欠ノ上の畦直しが終わらなければ、この日も続けて作業をやりたいと思う。小田原に来た時しか手伝えないのだ。

 そして、31日が水彩人の総会。今回は25回の記念展に向けて、色々準備がある重要な会議。記念展では展示主任の役であり。部屋ごとに特徴を出す、新しい試みを考えている。今回、水彩人同人会員をすべてに投票をしてもらった。その結果は、展覧会会場で表現される。

 大きな作品だけの部屋と、小さな作品だけの部屋とを設ける。今までは小さな作品が大きな作品の穴埋めのようになっていた。これでは一点一点を尊重した展示と言うことにはならない。未だに水彩人も作品は大きいほど偉いというようなおかしな考えがあったのだ。小さい作品はおおきなものの引き立て役ではないのだ。

 もう一つは水彩人の同人会員が考えている、水彩人の方角を示しているのでは無いかという絵を集めた室をつくる。そのためのに投票を行った。その部屋に飾られる人は、今回大いに頑張って選ばれた人に、水彩人に相応しい作品を制作して貰いたいと思っている。

 そして、いよいよ2月1日には台湾に向かう。やっと台湾に行けるようになった。台湾はコロナに対して厳しい制限をして、感染者の数は少なかったのだが、やはり一時は感染が広がった。やっと今年に入り、入国条件が緩和がされた。待ちに待った台湾行きである。

 今回は台湾で王さんという方にお会いできる。台湾の農業の種苗のことを色々聞かせていただくことになっている。聞かせていただいた上で、出来れば種苗店を尋ねてみたいと考えている。台湾の稲作、大豆、小麦その辺の事情を教えてもらいたいと考えている。

 台湾は食糧自給に真剣である。今も台湾の水土に適合する品種の作出を続けている。石垣島の気候は台湾に似ている。日本本土の品種を作っても十分な作柄と言うことにはならない。そこで、石垣島の水土に合う台湾の品種を作ってみたいのだ。持ち出しが禁止されていない品種を探してみたい。

 もう一つやってみたいことがある。台湾から石垣島に荷物を送ることだ。コンビニから荷物が送れるらしいのでそれも調べてやってみたいと考えている。送れるものが限定されているらしい。何が送れて何が送れないのかも調べたい。洋蘭は台湾から送ることが出来る。

 短期間の小田原滞在だが、色々おもしろそうなこと満載である。まだまだ動ける間はこうした2地域居住を続けたいと思う。そしてそのついでに台湾による。居住というか、2地域農業と言うことになるのかも。それでも石垣の農業の方がだんだん重くなってきている。小田原は参加者という範囲になってきた。

 溜め池の作業は大工事としては最後かと思っている。動ける間にここまで出来て良かったことだ。ここまで出来れば後は維持管理だけで良いことになる。余り動けなくなっても、草刈りぐらいはまだまだ出来るはずだ。続けていれば必ず道は開ける。

 それにしても、寒さは厳しい。外はマイナスの気温だ。石垣とは大違いだ。パソコンの前の温度計が14度である。このくらいなら寒いとは言えないのだが。暖かさになれてしまったのだろう。

 - あしがら農の会