文春note未来のために出来ること

   



 文春を読んでいたら、未来のために出来ることと言うハシュタグがあった。それで今やっていることを書いてみた。私は自給農業を人類の未来の道だと考えている。私の確立してきた、自給のための技術を何とか形にして残そうと考えている。

 それは後水尾上皇が造営した修学院離宮を見たときに、天皇家の稲作技術で国を統治するという思想を庭園として凝縮したものだと、直感した。自分も自給農業の技術を形として残すことに、この後の時間を掛けてみようと考えた。いつかそれを必要とする人が居るはずだ。

 35歳からやってきたことは食糧自給の技術の確立だった。それは失われつつある、過去の農業技術だった。特に養鶏についてはすでに失われていたために、すべて試行錯誤だった。過去からの伝承があると言うことはとても重要だと思う。

 修学院離宮に立ったときに、日本という国の成り立ちを感じた。実に美しい農業の庭である。日本の里山農業は美しい生業である。自然の中に自分の暮らしを織り込んで行く。人間は美しく生きることが最高の生き様だろう。人に伝えなければならないと考えた。

 この暮らしであれば、人は何時までも自然と折り合いを付けて生きて行くことが出来る。しかも、一日1時間だけ食糧自給に費やせば良い。後は自由に自分の好きなことをやれる暮らしである。安心立命が出来る。その足下には自給農業がある。

 人は明日を生きるためには食べなければならない。一人の人間が自分の体力だけで、食料の自給自足出来るのか。その確認のために40年間生きてきたようなものだ。35歳の時に丹沢の山中の杉林で開墾生活を始めた。シャベル1本で食糧自給が達成できるかの挑戦を始めた。

 結果としては三年目にはほぼ食糧自給が可能になった。杉の人工林をのこぎりで伐採して、地面をスコップで平らにする。屋根や斜面の水をすべて集まるようにして、田んぼを作る。大雨の日に足でかき回して代掻きをして田んぼは完成した。畑の肥料と食料のために鶏を飼う自給生活を続けてきた。

 人間が生きるための食料を得るには100坪の土地があれば良い。一日2時間農作業をすれば良い。もし、一人での自給ではなく仲間との共同作業であれば、1日1時間働けば食糧自給は出来る。その実践が小田原でやっているあしがら農の会という仲間の協働の作業である。それが私40年になる自給生活の結論である。

 そして今石垣島崎枝で3.6ヘクタールの土地で、自給の生活の体験農場を作っている。実際に自分の身体を使って、耕作してみなければ何も始まらないからだ。ここでは水牛を使う伝統農業を行っている。天水田を作り、大豆畑、小麦畑、そして熱帯果樹園がある。

 人間が自然から離れたことで、人間ではなくなってきている。だから熱帯化も起こる。経済競争も限度を超える。そして世界で戦争は頻発する。にんげんは自然の中で生きれば、我慢しがたいことも我慢しなければならないと言うことが分かる。自然に従い、折り合いを付けて暮らすほかないと言うことを、身体が覚えることになる。

 のぼたん農園の稲作は「ひこばえ農法」である。スマトラ島で行われているものだ。日本では石垣島であれば可能だと考えている。2年で7回収穫できる稲作である。これであれば10坪の田んぼで年60㎏のお米は収穫できる。いつでも新米を食べるのだから、保存の心配もない。

 10の田んぼで並行して行うから、自然災害の危険分散も出来る。のぼたん農園の実践を世界中の人に体験してもらい。人間は競争しないでも、豊かに暮らすことができると言うことを知ってもらう。そして、平和な未来を作り出したいと考えている。

 のぼたん農園には100坪で自給できる田んぼと畑がある。10あって、10家族が自給体験が出来る。一つを何人かでやっているところもあれば、一人でやるところもある。まだ畑は出来ていない。畑はこれから整備して行くつもりだ。

 畑では協働で麦と大豆と、ジャガイモ、サツマイモ、里芋をやるつもりだ。お米と、麦と、大豆があれば、後は野菜である。それはそぞれぞれが好きな作物を作れば良いかと思っている。みんなで共同でやった方が良い作物は協働で、その他は個別に。

 水牛牧場がある。水牛はやっと柵が完成してその中に放してある。暑いのでほとんど木陰で寝ている。昼間外に出てくることはない。水牛も数は本当に減少している。口蹄疫があるから、きお付けないと行けない。それで分散して買う必要があり、のぼたん農園でも預かっている。
 代掻きを水牛がしてくれる。水牛が何度も代掻きをすると、水が漏れなくなる。水牛ならば、石油がなくなっても動くことが出来る。天水田を水が漏れない状態にするには水牛がいると、随分楽になる。水牛はとても性格が良くて、農作業をすると、どこか役に立てて良かったという顔になる。
 

 - 楽観農園