崎枝の溜め池の整備について
崎枝の新しくお借りした牧場のことばかり考えている。弁当持参で牧場で一日絵を描いている。実に良い気分だ。石垣島の今の季節は最高の季節だ。といってもこのところ30度あるのだから驚く。陽の高い内は作業も無理なくらいだ。風があるので日陰なら大丈夫だ。これでもこの時期は農作業に頑張れる季節ということになる。
崎枝の溜め池がだんだん形を見せ始めた。「ゆず」と「ゆずまめ」が水遊びをしている内に水面が見えてきたのだ。数日前の写真より随分広がった。ゆずは紐に繋がれている。ゆずマメは紐には繋がれていない。子供の水牛は親のそばを離れないので、紐で繋がなくても逃げてしまうことは無い。
それで離れた場所にいるわかばの所に行ってしまう。ゆずは鳴いて呼び戻そうとするが、かまわずわかばにくっついてゆく。わかばはゆずマメをかわいがっていて、まとわりついても怒ることは全くない。水牛はみんなで子供を守る動物のようだ。
少し下の方に、「わかば」は繋いである。わかばとゆずは直接顔を合せたら、喧嘩をしてしまうかもしれないので、近づけない距離で繋いである。溜め池からの小川が、がけの下に沿って流れているので、どこでも水牛が水の中で遊んでいると水が溜まる。水牛には理想的な環境になっている。がけの所には上部に木があって川を覆っているので、いくらか日陰になっている。
今の季節日陰で無くても、水でゴロゴロ出来る環境があるなら水牛は大丈夫のようだ。水牛が一日50㎡は草を食べてくれるので、だんだん小川に沿って道が出来てきた。なかなかうまくつなげる木が無いので、その点がちょっと難しいのだが、紐の長さで調整している。
下の方はノボタンの群生地のようになっている。花の時期にはすばらしい景観になるだろう。ノボタンは水牛は食べないので、その当たりを歩かせていれば、ノボタンだけになるだろう。この当たりも将来は田んぼになる予定なので、ノボタンは田んぼの畦に移植して防風林にするつもりだ。
12月中には溜め池は完成させたい。溜め池がすべての基本だから、ここは念には念を入れて完成させたい。できるだけ大きくするつもりだ。水が無ければ、田んぼは無論の事、水牛も飼えない。畑だって難しいことになる。この場所に水が湧いていると言うことが本当に尊いことだ。溜め池の湧き水は水神様をお祭りしたい。
溜め池が十分なものになれば、たぶん全体では4反ぐらいの田んぼが出来るのではないかと思っている。牧場の中に200㎡の田んぼが10できれば2反。牧場の下にある田んぼが5反。そんなに田んぼを広げるつもりも無いのだが、やりたい人がいればやれると言うこと。
先ずは100坪の中に60坪の田んぼが一つできればよい。来年の作付けに2段目まで、つまり4畝だけでも出来れば目標は達成である。やりたい人が現われれば、だんだん下に一段一段と広げて行けば良い。面積的には溜め池から下に120メートルあるから、10段ぐらい出来るようだ。水に余裕があればだんだんに広げてゆきたい。
溜め池が出来たならば、青い睡蓮を栽培したいと思っている。熱帯睡蓮の中でもひときわ美しい睡蓮である。水牛と共存できるかどうかが問題であるが、一部田んぼのそばで、水牛は入れないような場所を作っても良いだろう。
田んぼの脇には水牛が入れない柵を作る。それはイノシシも防いでくれるかもしれない。田んぼの脇は見た目も美しい柵が良い。柵が有刺鉄線では子供などには危ない。小田原の溜め池が青いカキツバタならば、石垣の溜め池は青い睡蓮である。
溜め池は北側の上部に石積みがある。たぶん牧場のあちこちに転がっていた石を邪魔だからこの谷間に落とし込んだのではなかろうか。大正年間の可能性が高い。それが石積みの崖のように自然になったように見える。長年そのままなのだから、崩れることも無いのだろう。
その石積みの間からは太さが20㎝はある樹木が10本ほど生えている。それがまるで庭木のような状態で、溜め池との関係が造形的で、よほどの名人の庭師が、自然風の庭作りをしたかのようである。風の強いところでは自然に樹木が庭木のようになる。水場には水牛が遊んでいる。これはちょっと自慢できる景色ではないだろうか。
モネは睡蓮池を作り、それを描いたと言うが、私も溜め池を作りそれを描くことになるのだろう。溜め池回りの草刈りをしている内に、あたりの空気が自分の身体の中に染み込んできている。それは見て描かないでも同じことだ。溜め池の印象はきっと絵に影響してくることだろう。
田んぼには防風林が必要である。ハイビスカスにしようという考えだったのだが、牧場を整備していて気がついたことは、沢山のノボタンがある。ノボタンを先ずは防風林にしたい。その場にある植物なら、環境に適合しているのだから、強健にちがいない。
福仲さんに相談したら、月桃も良いよと言われた。たしかにそうだ防風林は月桃も使おう。月桃も牧場のあちこちに沢山生えている。土地に合っているのだろう。月桃も葉もいいし、木姿も花もなかなかいい。ノボタンとのバランスが大事だ。そういえば月桃は強い風の所にあっても葉が破れていない。防風林向きかもしれない。
薬草でもある。月桃はショウガ科の植物でショウガと同じような薬効があるらしい。月桃の敷物で昼寝すると足の疲れが抜けると聞いたことがある。月桃とノボタンを良い具合に混植して植えれば強い防風林が出来るのではないだろうか。
田んぼ一枚が10メートル幅、長さは33メートル。現地で糸張りをしてみた。これで100坪である。一人100坪の自給の田んぼ畑である。その一番南側に月桃とノボタンの防風林である。あとからハイビスカスがくるのかな。すばらしい景観の防風林。日本で一番美しい田んぼを作ることにする。それは崎枝という美しい場所に相応しい田んぼである。
将来、この美しい場所で水牛車をやりたいと思っている。楽観農園を見学に来た人を水牛車で一回りできるように成れば最高である。水牛を飼っているのだから、何かに利用しなければいけない。家畜は一緒に働いてこそ喜びもある。代掻きをしたときには、水牛は何か得意げな感じの態度である。
何も働かないで、繋がれているだけでは水牛は可哀想だ。水牛車を引っ張ったり、代掻きをしたり、水牛も嬉しいに違いない。水牛と共に楽しめる体験農場が良い。考えるだけで楽しくなってきた。132㎡の畑には防風林に花が咲く。大豆だろうか。カボチャだろうか。里芋だろうか。田んぼからひしゃくで水を汲んで水やりだ。
楽観園は修学院離宮に匹敵する次の時代の模式図になる。きっと後水尾さんなら分かってくれることだろう。天皇家は江戸幕府に権力支配されるなかで、日本の文化の神髄を文化を持って残そうとして。庭と言う形として残し、伝えようとしたに違いない。
百姓の国の日本人として、自給農業の姿を楽観農園として実現するつもりだ。形が残ればこの意味をいつか分かってくれる人がいるはずだ。5年間自分が動くことが出来れば、楽観農園は一応の完成まで行くだろう。自分に10年あるのならば、それは根付いた活動になっているはずだ。