石垣島で原野を田んぼにする冒険談2

   



 冒険談の長い日和見の文章になる。大きな冒険ほど日和見が大切である。同この先の航海を乗り切るか、あれこれ考えている。場所を借りることも現段階では、正式なものではない。これから役所に正式に申請を出して決まることだ。石垣市がこの冒険の船出を認めるのかどうかはまだわからない。

 それでも、一応は石垣島で農地を借りることの地主さんとの話はほぼ決まった。しかし、決まったとはいえそれがだめになったことがすでに3回もある。まだ本当の安心という訳にはいかない。大きな冒険には不安が常に伴うが、楽観をもって乗り切りたい。

 その場所は楽園の農園を作る最後の冒険をする場所である。紆余曲折あったのだが、36149㎡ということになった。広い。実に広い。これほどの面積を使わせてもらうのは初めてのことだ。場合によっては広げることは可能な農地は周辺にいくらでもあるが、先ずはこの面積から始める。

 田んぼ畑になるスペースは3000㎡ぐらいだろう。田んぼ畑とは田んぼが200㎡畑が100㎡そしてハイビスカスの防風垣が含まれて、百坪が一家族の自給耕作地という事になる。お米、麦、大豆、の基本食材がここで賄えるという面積である。

 その百坪の自給の田んぼ畑の単位を6つぐらいの段々畑に作りたいと考えている。6家族が自給農業を体験できる楽園の農園である。「楽観園」というのはどうだろうか。誰もそんなこと出来るわけがないという夢に、楽観で向ってゆく体験農場である。

 ため池や周辺の作業道も入れてそのくらいになる。残りの33000㎡は、水牛の牧場用地になる。四頭ぐらいの水牛を放牧出来る面積という話だった。作業道をきちんと配置することが最初の作業である。すでに、水牛を柵沿いに繋いで毎日移動させて、草を食べさせている。1日10メートルづつ整備されてゆくことになる。

 放牧地はいくつかに牧柵で区切りたい。良い牧草が生えるように、草地を調整したいと考えている。現在ススキやアメリカハマグルマのような草が入り始めている。これを取り除くことが、次の作業になる。良い牧草地を管理することが重要な目標になる。水牛牧場はまったく経験が無いので、専門家の福仲さんに良く教わり先ずは学びたいと思う。

 良い牧草地を維持することは案外に難しいようだ。放牧をすれば、好きな草だけを食べる。食べない草が残り、それが広がってしまう。食べないような草は大体に除去が難しいような草だ。広い場所だから、それを人力で取り除くことは相当に困難である。

 まず一度、ユンボでダメな草を取り除くことを徹底して行う。その上で再生してきた悪い草を、根気良く取り除くことだろう。再生してきた程度のものであれば、気が付いた時に取り除けば、そのうち淘汰できるはずだ。

 水牛友の会の代表の福仲さんは八重山農林高校の先生をされていた方で、与那国島出身の方である。あらゆる農業技術の神様のような方だ。農業にはこうしたスーパーマンがいる。小田原でも結局のところ、スーパーマン農業者が農業を支えていたと思う。農業苦難の時代スーパーマンでなければ乗り越えることはできない。

 農機具に関しても万能であるし、溜め池を作る方法から、農場の整備、帰化植物の駆除方法なども、驚くほどの実践技術に精通している。先日は、ナガエツルノゲイトウの環境省の駆除事業の指導者として、新聞に掲載されていた。水牛友の会の代表である。現在会員6名である。希望者は入会できる。

 今回の水牛牧場の主である。水牛もすべて福仲さんが管理されているものである。シーラ原で田んぼを始めて以来、細かく色々のことを指導していただいた。それで石垣島での何十年か振りの水牛耕が再現したのだ。昔の水牛の農具に関しても詳しく、そうした古い農具の収集もされている。

 田んぼ畑の計画案の立案と、整備については私の責任で進めさせて貰う。一つの田んぼの面積は100坪つまり330㎡程度。といっても水の張られる面積はその中央の200㎡.残りの130㎡が畦であり畑と言うことになる。これは「小さな田んぼでイネ作り」で提案した田んぼ畑である。

 田んぼの周囲に130㎡の大きな畦があり、畑のスペースになる。これを合せた100坪が1家族の自給の大きさになる。これを段々畑にして、いくつ作れるだろうか。その一つを1家族が受け持つ。6段の棚田が出来れば良いとみている。つまり、600坪である。2反あまりである。

 水の湧いている一番上に溜池を作り、そこは水牛池にもなる。水牛がかき回してくれれば、水が漏らなくなるかもしれない。この貯水池の作り方は現地で福仲さんの考えで調整してもらう。1977年の航空写真ではそこには3角の池があったことがわかる。

 田んぼ畑の一単位で食料生産で家族が暮らせると言うことになる。といってもそれは小田原での経験で、石垣島でそうした自給が達成できる為には5年はかかるだろうとみている。土壌や気候のことを身につけるためにはかなり大変なことになる。

 亜熱帯の石垣島ではすぐ腐植が失われる。これをどのように補うかが、見つからないとすれば、石垣島の有機農業は実現できないと思
う。一つは冬季湛水をして、藻や浮草を増殖して、それを緑肥として田んぼに戻してゆく方法がある。シーラ原田んぼで挑戦してみたい。

 もう一つの方法はたい肥小屋を作りしっかりと堆肥を作り田んぼ畑に入れてゆくことだろう。堆肥の材料は沢山ある訳だから、問題はその労力が賄えるかである。道路からすぐ生ごみを落とせるようにして、ホテルからの生ごみを回収する事業をやれないかと思っている。

 亜熱帯での有機農業の循環をしっかりと見つけることが、楽観園立ち上げの課題だろう。水牛の糞を集めることも考えられるが、100坪の1単位に1頭の水牛の糞で足りるものだろうか。良い牧草地を作り上げることと、良い田んぼ畑を3年間で完成した。

 1年目はまず、作物を作るというより、農園基盤整備をしてゆくことになるだろう。この時には水牛耕が大いに役立つはずだ。2年目には放牧地と田んぼ畑を区切り実験的に作物を作ってみる。3年目には防風林も出来上がり、各単位での耕作を始める。

 4年目以降に楽観園が形を整えて、航海に乗り出してゆく。かなり長期的な計画になるが、5年間は身体が動けるという前提でこの冒険に挑む。何か三浦雄一郎さんのエベレスト登山への挑戦のような気分である。多くの人のサポートがなければ実現が出来ないことだ。

 シーラ原田んぼを始めたことで、多くの人のつながりを得ることができた。ここからの大冒険にのりだす、仲間がいる。まだまだ、仲間を募集しなければならないので、一緒に冒険をしてみたいという人がいたら、是非コメント欄から問い合わせてください。

 - 楽観農園