石垣島が移住に最適な理由
都市から地方への移住を希望する人がいくらか出てきている。たぶん、一定の数にとどまり、地方の消滅を防ぐというほどの流れは起きないだろう。相変わらず都市一極集中は続くと考えておいた方が良い。地方でも中心の都市はある程度集中が進むのだろうが、全体としては日本の人口減少は続いて行く。
どこか地方でのんびりと暮らしたいという人はいるだろうが、そののんびりの場所は石垣島が日本で一番である。実践してみた結果そう思うのだ。まず、人口が減少してゆく場所に引っ越すことは避けた方が良い。人口が減っていない場所で無ければ移住先としては展望が持ちにくい。これは言いにくいことだが、移住の肝心なところだ。
人口減少地域ではどうしても社会的インフラが不足してゆく。病院が統合されたり、学校が閉校されたりしてゆくだろう。お店もなくなるかもしれない。道路は壊れても直されないだろうし、橋など老朽化しても直すことが出来ないことになる。生活の最低限のものが失われて行く可能性が大である。日本の社会は膨大な借金の中で進まざる得ないのだ。
日本のこれからの時代は様々に質素堅実にならざる得ない。そうした時代の経験の無い人達には辛い時代と言うことになる。特に地方の社会は税金不足になり厳しくなること間違いない。そんな時代の中でも、人口が減少しない地域がある。沖縄である。石垣島である。子供の出生率も日本では高い方だ。
こういう地域で暮らしていて嬉しいのは、街の至る所で子供の声がすることである。街角のあちこちで、子供が遊んでいる。子供がいる街はどこか気分が明るくなる。そういう場所に混ぜてもらえるだけで、有り難いことだ。年寄だけの地域への移住は若い人ならまだしも、年寄は避けた方が良い。
移住先を探し歩いていた40年前。伊豆高原の別荘地に行って驚いた。年寄だけなのだ。これは大変なところだと思った。こう言うところでは暮らせないと思った。結局はあれこれ探した末に、まったく人のいない山の中で開墾生活を始めた。誰もいない方がよほど良いと言うわけだ。若ければ人が居無くても耐えられた。今は無理だろう。
地方であり、出来れば観光客がたくさん来るような場所が良い。観光客が来ると言うことは都会的な利便性がある程度そろっていると言うことになる。小田原と石垣島とどちらが買い物に便利かと言えば、石垣島である。石垣島の方がものがそろっている。
北海道と沖縄は税金が他の地域よりも多く使われている。どのくらい多いのかは分からないが、そうだろうと思われる公共施設を見かける。税金を投入しても沖縄と北海道は支えてゆかなければならないという、政府の考え方がある。
沖縄及び北方対策特命担当大臣と言うものがいるぐらいだ。今の担当大臣はガールズバーで政治活動をしていた西銘さんだ。石垣島が選挙区である。どうも情けなくなる。選挙対策で大臣になっただけなのだから、落選して貰いたいものだ。
石垣島に住んでいると、中国が攻めてくるので速く逃げた方が良いだろうと本気で忠告してくれる人が時々いる。中国のことは比較的よく知っている方だと思うが、台湾には軍事的侵攻をしても、日本に軍事攻撃を仕掛けることは無いと判断している。尖閣の問題はあるがこれを解決しないのは日本政府の、中国敵視政策の理由作りに過ぎない。
石垣島に来て三年である。コロナの時代になってしまったのだが、石垣島に来て良かったと思うばかりである。これ以上に良い選択は無かったと思う。沖縄本島や宮古島も見て歩いたのだが、なんとなく石垣島の方が気性に合っていた。色々の所から来た人がまぜこぜのところが良い。
八重山合衆国という言葉があって、石垣島に古くからいるという人でも本島から来た、宮古から来た、台湾から来た、そういう人がほとんどである。江戸時代から先祖は石垣島に住んでいたという人は、今のところ一人しか直接は知らないぐらいだ。
外部の人になれている。慣れているから、抵抗が少ない。抵抗がないわけではないようだが、そういうことには鈍感な方なので、よく分からないぐらいの程度だ。こんな鈍い私でも宮古でははっきりとよそ者感覚がしたものだ。宮古もきれいな人口増加中の島だが、少し違う気がして石垣島を選択した。
歩いて行けるところにスーパー、ホームセンター、コンビニなどがあるかどうかが条件だった。家から5分ぐらいで、それらのお店はすべてある。自動車でなければ買い物が出来ない場所は除外して考えていた。郵便局、農協、銀行、書店、古本屋、たまには行く場所は10分範囲にある。映画館もあったのだが、残念ながらコロナの御陰で閉鎖された。
次には病院が重要である。病院は小田原市立病院と同じ程度である。但し、新しく建てられた美しい病院である。たぶん設備も少しは最新機器が導入されて良いのかもしれない。感触としては良いところと悪いところがあるが、この病院で特に困ると言うことは無いと思えた。まだ利用させて貰ったことは無い。
先日はついに、皮膚科の専門病院にかかった。御陰様で治った。眼科の病院もかかっている。これは小田原の病院よりずっと熱心である。聞けば質問に答えてくれる。当たり前のよ
うだが、小田原の眼科は説明が不足していた。皮膚科のお医者さんは飲み薬を二つ出すと言われたので、ステロイドは飲みませんと言ったら、取りやめてくれた。
うだが、小田原の眼科は説明が不足していた。皮膚科のお医者さんは飲み薬を二つ出すと言われたので、ステロイドは飲みませんと言ったら、取りやめてくれた。
眼に関しては沖縄大学病院で見て貰ったが、とても良いと思えた。普段何しているのかと若い先生から聞かれたので、絵を描いていると話した。「眼のことは真剣ですね。」と先生に言われた。こんなことを眼科医に聞かれたのは初めてのことだった。
石垣島には様々なライブハウスがある。コロナでしばらく行っていないが、行こうと思えば毎晩どこかでライブが行われていた。これはビギンの島石垣島の最大の特典では無いだろうか。石垣島祭り、街角コンサート、トゥーラバーマ大会、音楽イベントは盛りだくさんである。これに出掛けていればあきることが無い。
レストランや島料理の店も豊富にある。食べ物が美味しいのだ。魚介類は新鮮で特に美味しい。その上に石垣牛である。食べ物に関しては他のどの地域にも負けないレベルだと思う。台湾にはちょっと負けるが。ホテルのレストランもあるし、世界中の料理を出す様々なお店がある。コロナの前はけっこう食べ歩きをしていた。いつも混んでいて、予約をしなければ入れないくらいだった。
何か石垣島に引っ越して困ったことが無かったかと言えば、一つだけある。絵のマットを切ってくれる額屋さんが無いことだ。さすがにこれは仕方がない。小田原に絵を持って行ってお願いするほか無い。画材屋も無いが、これは通販で済むので、問題が無い。画廊とか、絵の展示場所も無いが、無い場所で良かったと思っている。小田原でも絵を描く人と関わりたくないと思っていた。地域という関係で絵を描く人と関わることは私には出来ない。絵については思ったことを口にしてしまう。
改めて考えてみても、石垣島ほど移住に最適な場所は無い。この素晴らしい自然環境と水田がいつまでも残されて行くように、できる限りの事はしたいと思う。それが移住させて貰った島へのお礼である。