水牛のわかばが帰る日

   



 水牛のわかばは近々帰ることになっている。わかばが来たのは6月28日だった。今日で76日になる。水牛というものを始めて飼育させて貰った。経験の無いことだったので、心配はあったが、何とか無事役目が終えられそうだ。

 私が飼った最大の大きさの動物である。家畜というものがどういうものか少しは分かった気がする。ペットの動物とはまるで違う。穏やかな動物である。よく従う動物である。必ず水を持って行ってかけてやることにしている。何より水が好きなのだ。

 水牛で田んぼを耕すと言うことが出来ると言うことは分かった。しかし、それは大変なことで、トラックターがあればと今も思っている。それでも、水牛で出来ることであるなら、これからも水牛を取り入れた、伝統農業を探りたいと思っている。

 それは石垣島の稲作も継続が危ういときが、そう遠くなくくるに違いないと考えているからである。本島ではすでに稲作は途絶えたと言えるほどまれになった。水田が無いか探して歩いたが、簡単には見つからなかったぐらいだ。資料を見るとないわけでは無いようだが目につくほどではない。

 沖縄県の昨年の稲作面積は650ヘクタールで昨年減少した面積が27ヘクタールとある。内492ヘクタールが八重山地域。石垣市が325ヘクタール。沖縄県全体の半分が石垣市にあることになる。石垣市の稲作農家の平均面積が、5.6ヘクタール。統計では与那国島が75ヘクタールと出ているが、今年の作付けはその半分も無かったのではないだろうか。

 沖縄県の稲作の面積は、明治末期には9,000ha もあった。今帰仁村の史料館で古い田んぼの広がる写真を見たが、沖縄の風景にも一面の田んぼだった時代がある。今の沖縄とはまるで違う景観である。沖縄は田んぼと文化が深く強く結びついた場所だった。水田の島だった昔を覚えている人はもう少ないに違いない。

 稲作が減少して行く原因は経営が出来ないからである。石垣市で見てみると、稲作農家の平均年齢は果樹や畜産に比べれば、高齢の方が多い。今手立てをしなければ、石垣島でも田んぼが失われる時代が来る可能性が高い。それは石垣島の貴重な自然環境が破壊されると言うことになる。

 このことがまだ十分には理解されていないと思う。そして本当のように気が付いた時にはこの大切な田んぼが失われているかもしれないのだ。これは政治の問題だと思う。石垣の暮らしを大切にするための、基本的条件が田んぼを続けることなのだ。

 石垣島は観光業を中心に経済が回っている島である。それはこれからも変わらないことだろう。年々その重要度が増してゆくことも間違いない。竹富島の経済があの水牛車で回っていることをみれば、今後の石垣島の方角は見えてくるのでは無いだろうか。亜熱帯の自然環境と島の伝統文化を結んだ観光である。

 「伝統と自然環境」この二つを生かす事ができれば、他の地域に無い観光が続いて行くはずだ。稲作も継続するためには観光と結びつかなければ、成立しないことになる。稲作の経営はこれからさらに厳しくなって行くことは間違いが無い。

 翻って日本政府の農業に対する考えは、国際競争力のある農業である。間違った政策である。本来主食作物については、国の安全保障と結びつけて、別枠で考えることが当然のことであるが、新自由主義経済を方針としている政府は、競争力だけを問題にしている。

 例えばワクチン開発が、世界の趨勢から遅れたことがそれを良く表している。日本は竹やりで国防ができると思い込んでいるほど頓珍漢な国なのだ。国を守る基本は、食料である。医療である。情報である。武力で守れると思ってはならない。

 今後世界は食糧危機の時代が必ず来る。世界の人口増加が続く以上、いつか必ず起こることである。中国やインドが食料輸入を増やせば、たちまちに食糧不足が訪れる。その時に成ってあわてて、稲作を再生しようとしてもできない。今がとても大切な時期なのだ。

 稲作には水が必要である。沖縄本島で稲作を復活しようとしたら、10年以上の時間が必要になるだろう。多分もう無理と考えたほうがいい。一度失われたものを戻すことは農業では極めて難しい。稲作を取り巻くインフラの整備を続けていて始めて、緊急の時に対応が出来る。石垣島で稲作を続けることは今経営が難しいとしても、極めて重要なことになる。

 稲作の継続が石垣の海を守ることにも成る。石垣島にはかなり急峻な山があり、その山麓が様々な開発がされている。全体としては牧草地が多い。きび畑やパイナップルも盛んである。そしてリゾート開発や、ゴルフ場開発や、ミサイル基地建設も行われている。

 森林が失われている。そして赤土の流出が続いている。川の流れ込む海は瀕死の状態である。これを食い止めるためには稲作が継続されることが必要である。これを石垣市民の共通の認識にしなければならない。今稲作が失われて行くギリギリの所にあると言う認識は薄いのではないだろうか。

 市民が稲作を続ける担い手になる必要がある。市民であれば、稲作の経営とは別の枠で考えることが可能だ。自給のための農業である。それには伝統農業がよい。循環
型でできる限り自然を汚さない農業である。稲づくりは、何千年も同じ場所で繰り返し可能な農業なのだ。

 1件のお米は今の時代180キロ程度だ。それは100坪の田んぼでよい。1反の田んぼがあれば、3家族が自給できる。1ヘクタールの田んぼで、30家族。今年、耕作が放棄され減少したという27ヘクタールの田んぼであれば、710家族が自給できるのだ。

 与那国島も、石垣島も、西表島も、食料自給が可能な素晴らしい環境の島だ。これを経営農家ができなくなるとすれば、市民が参加してゆく形を模索するほかないのではないだろうか。水牛稲づくりはその道を開くかもしれない。

 

 

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