コロナ蔓延とオリンピック開催

   



 3本花芽が立ったコウトウシランイエロー。農協のゆらてーく市場で買ったものだ。石垣島では普通の草花と同じように蘭が栽培できる。強すぎる日照でダメかと思うが、湿度が高いせいか、蘭は元気である。花があるとゆたかな気分になる。

 やはりオリンピック開催時にコロナ感染爆発が起きた。感染症学者の皆さんが予測されたように、東京では急激な感染爆発が起きている。それが全国に波及を始めついに1万人超えである。しかし、このパンディミックに政府の責任の追及と言うことは余り言われない。

 もう政府を追求したところで仕方がないという感じがでている。オリンピック報道が中心になり、コロナを忘れられていると言うこともある。このまま医療崩壊まで進むと言うことなのだろうか。10日から東京に行く予定も止めざる得ないようだ。

 すべてが当然の結果だとすれば、政策が間違っている以外には考えられない。「国民が自粛しないから、こんなことになった」という、政府には逃げ道が作られている。政府が逃げられるように世論が誘導されている。

 コロナ感染爆発に対して、本当に打つ手は無いのか。そんなことは無い。政府は経済を止めることを恐れて、対応が中途半端になっているだけだ。若者の自粛離れと言われるが、これも予測に入れなければならない、人間が起す当然のことだ。

 石垣島で見ているところでは観光客の来島数と、感染者の増加は比例している。観光客が増えてきたなと感じると、一,二週間ずれて感染者が現われてくる。もし、石垣島へ来る観光客を、未感染証明書を義務付ければ石垣島での感染はかなり押さえ込めることは間違いない。

 今はこれが出来ていないだけのことだ。ワクチンの接種証明か、PCR検査の陰性証明書の提示。それが無ければ、飛行機に乗せなければ良い。政府と飛行機会社が連携を取りやろうとすれば、出来ないことは無いはずだ。

 今回の第5波のパンディミックはベーター株の感染力の強さである。以前であれば、この程度の人との密な接触では感染しないという経験が通用しないのだ。若い人の感染増加の原因はここにある。この程度なら大丈夫という経験が、裏目にでていてパンディミックが起きている。

 感染がここまで長引いてくると、もう若い人の気分としては限界を超えた。若い人は経済との直接の関係は薄い。しかも感染しても重症化する確率も低い。馬鹿馬鹿しくてヤッチャラレないという気分では無いか。実際に若者にとって、自粛生活は余りに失われるものが多すぎる。

 年寄の私が自粛したところで、たいした問題は無い。そもそも年寄が生きていると言うことが、不要不急のようなところがある。若い人の一日は輝ける一日で無ければならない。その輝きを消すかのように自粛要請では通用するわけも無い。

 やってみて分かったことは1年以上の自粛政策は無理と考えるのが、日本の社会の当たり前の事ではないだろうか。経済の問題である飲み屋の事は大騒ぎであるが、高校生は選挙権も無いのだから、ただただ自粛をしろと要請されるだけである。政府は完全に手段を失っている。とうぜん、ワクチン接種も消極的である。

 この緊急事態の場面でオリンピックである。日本選手が見事に金メダルを取れば、嬉しくて気分も晴れる。コロナで閉塞され気味の心が解放される。よっしゃと言うことで走り出したくも成るだろう。私は円谷選手のマラソンを見て、走り出した。

 心が解放されれば、どうしたって何かしたくなる。スポーツの力である。これが菅氏が国会答弁で語った、東京オリンピックの女子バレーの力だ。確かに、日本中が励まされ、もうひと頑張りしようとなったのだ。今だって日本柔道の活躍に良しやるぞと思う人は多いのだろう。

 年寄ではあるが、老骨にむち打つ気が強まっている。あれほど頑張れる人が居るのに、動禅体操ぐらいでくじけてはダメだと考えている。あのスポーツ選手の努力は千日回峰行なみだろう。柔道の選手の人達は金メダルインタビューで必ず、コロナ下にオリンピックを開催してくれたことに感謝の言葉を述べる。それは山下氏が会長と言うことも感じる。

 残念ながら国民は張り切って頑張ってはいけないという、コロナの足かせがある。心が分裂して苦しい。運動部の選手であれば、練習に力が入らないはずがない。しかも練習はほどほどにして、全国大会はやれない状況。予想通り、中国が一番強い。コロナを早く抑えた結果だろう。

 オリンピックの選手を見ていても、コロナ対応で失敗した種目もある。バトミントンはそんな感じがする。国際試合の不足。日本国内での選手層の薄さ。柔道の場合、国際交流が制限されれば、日本のように国内に選手層が厚い国が強くなる。

 コロナで一番問題になるのは、人間の成長と言うことのようだ。人間は人間と交流することで、人間性を形成する。孤立すればするほど、ゆがみが固定されてしまう。特に若い人は人と接する機会を失うことは致命傷だ。

 若い頃に同年代の友人との交流を持てないと言うことは、人間としての成
長の機会を失うと言うことになる。小学生の時の友人。中学生の時の友人。高校生の時の友人。大学生の時の友人。思い出す沢山の友人の御陰で学ぶことが出来た。

 友人が居なければ、自分というものになれなかったことは間違いが無い。様々な友人から教えられた。どうしようも無い人間であったのだが、何とかここまで生きることが出来た。もし、子供の頃の様々な人との出会いが無ければ、手に負えない人間になったことだと思う。

 若い人も可能であるならば、ワクチンを早く打つべきだ。ワクチンを打てば友人とも会えるだろう。ワクチン不安説が広がっているが、科学的に考えるべきだ。失うものと、得られるものを冷静に比較してみれば、ワクチンを早く打つ方がどれだけ得られるものが大きいかが分かるはずだ。早く同年代の友人と交流をすべきだ。

 コロナワクチンデマに騙されては成らない。不妊になるとか、遺伝子が組み換えられるとか、ワクチンを打って死んだ人が多数存在する。ワクチンには有効性が無い。みんなとんでもないデマだ。えせ科学に騙されては成らない。

 これは人類とウイルスとの戦いなのだ。勝たなければ人間は終わる。今後も繰返し新型のウイルスが登場するはずだ。素人考えであるが、大規模畜産が新型ウイルスを生み出している。コロナウイルスもミンク養殖が生み出したと考えている。大規模畜産を禁止すべきだ。とくに、毛皮の養殖は許されないだろう。

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