石垣島自然稲作の見学会の反省
一時間話させて貰ったのだが、一生懸命になりすぎてしまい、家に帰ってがっかりして酒をノンデネタ。ついつい力が入りすぎて、しゃべり続けてしまい、おもしろい話を出来なかった。笑いを取れるようにしゃべるつもりが、少しの笑いもない、言いたいことだけの話になってしまった。
これだからだめだ。石垣島では笑いものになれることが一番大切なのだ。相変わらずの大反省である。余裕がないからこうなるのだ。石垣島でみんなの前で話をするのは初めてのことで、上がってしまったのかもしれない。上がっては居なかったか。力が入りすぎて興奮してしまったのだろう。
慰めにもならないが、伝えたいことは伝えたつもりだ。私の事などどうでも良いことである。石垣島で田んぼがなくならないことが大事なのだ。必ず同じ考えの人は沢山居るはずだ。その人と出会うことが出来れば、今回の集まりの意味があったことになる。
干川さんにお願いして、石垣島の田んぼの案内をお願いした。沢水が取り入れられる可能性がある田んぼである。あるいはこういう所ならば市民が行う田んぼとしては良いのではないかという場所である。通年通水するためにはどういう手段があるのかも検討した。
アンパルの自然環境を良くするためには、水田可能な場所には水張りを行うことが必要である。理由は以下のようなものだ。
1,通年通水すれば田んぼをやっていない場所でも生物多様性が維持できる。
2,赤土の海への流出を防ぐ貯水池機能を増進できる。
3,洪水等を抑止することになる。
4,地下水の減少を防ぐことになる。
見て歩いた限り、そうした場所はかなり存在していて、五ヘクタールぐらいはアンパル周辺にある。12月1月水が止められる田んぼが普通のようだ。この期間、水を確保できるのかも課題である。田んぼの排水を止めることで天水田にしておくだけでも違うのではないだろうか。
アンパル周辺の田んぼの、水張りの可能性を探る必要がある。ダムからの取水にほとんどの田んぼが成っている。沢水を使えないものかどうか。田んぼからサトウキビなどに転作されている場所。あるいは放棄され荒れ地になっている場所。
自然環境を守る活動はどうしても反対運動になりがちである。出来て困るものが、守るべき場所に出来てくるからである。しかしそうした反対運動は成功してもマイナス要素が減っただけになる。自然環境を豊かにして行く活動を行う必要があるのではないか。
これはあしがら平野での酒匂川グリーンフォーラムの経験の結果、ごみ処分場反対から、あしがら農の会が生まれたようなものである。弱いところには迷惑施設が進出してくる。農地を弱いものにしてはならない。農地が農地として有効利用されていれば、農地転用は起こらない。
農地を守るためには農業経営が出来なければならない。ところが稲作農業は経営が厳しくなっている。よほど機械化に向いているような大型の水田が集積されているのであれば別であるが、条件の良いとまでは言えない水田は経営としては難しくなっている。
こうした条件が十分でない田んぼが維持できるとすれば、市民の自給のためのイネ作りだ。市民が自給する小さな田んぼであれば、農家が使えないような田んぼでも可能である。むしろそうした小さなまとまらない田んぼの方が向いているとも言える。
小さな稲作農業が国際競争力が無いから、止めてもかまわないという政府の政策は間違っている。田んぼの持つ環境貢献や文化的な価値を軽視しすぎである。主食となるお米の生産は、単なる食料を越えた人が豊かに生きるための文化まで含んでいる。
地域の文化が失われつつある風潮が強まるなか、石垣島は伝統文化が息づいている。その根底にあるイネ作りの伝統は維持すべき重要な農業である。農家としての経営が難しくなって失われてしまう前に、どうしたら維持することが可能であるかを検討する必要がある。
その方策は多様である。様々な角度からアプローチすべきものだろう。その一つとして、市民参加型のイネ作りがあると思う。自分で食べるものを自分で作る。石垣島にはそうした市民が作る自給のための稲作に向いている田んぼもある事は分かってきた。
やってみたいという人がいることも少し見えてきた。たぶん始めるためにはその繋がりを誰かが作り出す必要があると言うことだろう。その意味で、私に役立てる部分はありそうに見える。もう少し様々な角度からアプローチしてみたい。