第35回 水彩画 日曜展示

   

第35回 水彩画 日曜展示






108「ヒカゲヘゴのある田んぼ」
中判全紙  ファブリアーノ
2021,1







109「名蔵一番上の田んぼ」
中判全紙 ファブリアーノ
2021,1








110「獅子の森が見える田んぼ」
中判全紙 ファブリアーノ
2021,1

 自分の絵を模索している。おかしなことをしているのかもしれないが、自分には従っているような気がする。この絵は実は三週前に描いた絵である。今目の前に、描いている絵やほぼ出来ている絵が、16枚もある。

 一日1枚くらいのペースで描いているのかもしれない。何か見えてきているものがあって少し焦り気味かもしれない。しかし、やるときにはやらないとと思って描いている。困るのはそのなかでは今回の3枚は少し前に描いたような気がする。

 気持ちがすでにこの次の絵に移っているところがある。対象までの実際の距離が一時近づいていた。これは素描をするときに起こることだ。同じことが水彩画でも起きた感じがしていた。素描は広い空間を描きたいと余り思わない。

 水彩も近いものが描きたくなっていた。この3枚は自分としては空間と言うよりも、対象のものを描いている。物の関係に意識がいっている。こう言うときに正確な関係性と言うことには自信がある。ここからここまでを画面に入れようと決めると、どこから描き始めても必ず収まる。

 これは絵とは関係が無いことだが、とてもやりやすいという気がしている。そういう点での修正ということは、絵では起きない。最近は思った色が出せないと言うことも無い。その色は画面に必ず表すことが出来る。これもそれで良かったと言うことでは無い。

 そういうことが出来るようになったからと言って、自分の絵に近づけたかどうかは別のことである。絵は表現したいように描こうとして、どうしても出来ないことがある。案外その出来ないことが良いという場合も多々ある。やはり上手は絵の外である。

 出来ない、出来ないと、しがみついていること自体がその絵の良さであることもある。だから絵は途中で終わりと言うことが無い。どこまでもどこまでも描ける。ここまでと言うことがまるで無い。この点が一番怖いところだ。

 こうして、どんどん次の絵に行くと言うことはわるいことかもしれない。やればやるほど、自分に近づいたような気になる。ところが、それが絵としてどうかという目で見れば、みじめなものだ。しばらく、最小限の作業で終わりにしていた。今はその絵の続きを描いている。最大限やれることはやりきりたいというような絵だ。その上描くのが作業のように早い。

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