ブログを始めて連続5000日がたった。

   


 ハラボソトンボ 九州、南西諸島に生息 写真を送ったら渡部さんが名前を教えてくれた。名前が分かると、飛んでいてそばに来ればハラボソだと、分かるようになった。出かける楽しみが増える。絵を描いていたら、車の中に入り込んできた。トンボというものは実に美しい形をしている。

 コウトウシラン Spathoglottis plicata 八重山諸島に自生するラン この立派な2本花付きの株が、ゆらてぇーく市場で900円で売られていた。石垣島で栽培すると増えるらしい。シランと言う名前であるが、シランではない。

 2006-03-05 07:32:05というのが、ブログの最初の記事の年月日である。すでに14年近くが経過した。ブログは毎日書くということにした。そうしなければ、続かないと思ったからだ。いつの間にかそれが朝の日課になり、一日も休まず続けることができた。ブログを書けないほどの病気も、ケガもしなかったと言うことでもある。

 ピースカフェと言う平和活動の紙媒体を止める代わりに始めたブログである。平和への願いを込めたブログである。ただ、平和のことだけを書いていたのではなかなか読んでくれない。紙媒体の時の方針もそうだったのだが、4分の1程度をピースカフェの趣旨の記事にする方針である。

 一応5000日を目標として記録しておく。この年は2回目の東京オリンピックの前年だ。どこで暮らしていることだろう。ただこの日が正確かどうかは分からない。おおよその計算である。前回4000日は34日もづれてしまった。というふうに書き始めてあったので、この部分は残す。

 一日も休まず続けることが、自分との約束である。この日が来る前に、ブログが途切れていたとしても、この文章は掲載されることになる。もしこの後に文章があれば、生きているという事になる。果たしてどこで続きを書けるのだろうか。この部分も残しておく。これを書いたときにはきっと小田原には居ないと思っていたのだ。

 5000日のことを多分1000日の頃に予約投稿している。又、1万日目の日付けを計算して予約投稿しておきたいと思う。今までは一日も休まなかった。今度の5000日はそうも行かないかもしれない。年齢的にもだんだん怪しくなる。1万日は継続したい、今から14年は続けたいと言うのである。84歳になる。生きているのだろうか。生きているとすれば、幸運なのだろう。

 今はどこまでも書ければ書くつもりである。書いている間は平和憲法が継続するという願掛けのような気分だ。ブログを書くということが、生活の中にあるので、続けられる間は続けるつもりである。ブログを書くということで、日々の生活を律しているということもある。

 絵を描くこともこのブログを書きながら考えている。実際に絵を描くときには何かを考えるわけではないが、自然にブログで考えたことは反映していると思う。そのやり方が自分ららしい絵の描き方だと今は思っている。

 大体は早朝一時間ぐらいで書く。最近は夜中に目が覚めて書くことも多い。内容によっては二時間以上かかってしまうこともある。文章がすらすら出てくる日は30分で書けてしまう日もある。書きにくい内容というより、頭が動かない日もある。

 誤字脱字打ち間違い、変換間違いが多くて、読んでくださる方に申し訳ないとは思っている。校正をしてからと言う時間を惜しんでいる。少々違っていても大目に見ていただきたい。読みづらくて申し訳ないが、趣旨は違わないと思うので。

 このブログで書いたことから抜き出して、「小さな田んぼのイネ作り」はまとめたものである。農の会「有機のイネ作り」の元原稿もそうであった。いつか、水彩画の本をまとめるつもりで居るのだが、肝心の絵の方が描けないので、まだまだ絵の話は先になりそうだ。

 絵の本はできないのかもしれない。できないとしても、作るつもりでやることは大事だと思っている。絵の本は作ったとしても何かの役に立つかどうかは分からない。本にするより、DVDで残す方がいいのかもしれないと思ったりする。

 絵がそれなりの所まで進んだら、写真をきちっと撮り、掲載してゆこうかと思ってはいる。そして利用してもらえるものがあれば、自由に使ってもらいたいと思う。問題は自分の絵だと思えるところまでなかなか行かない点である。それでもどこかで踏ん切りは付けなければならない。

 以前はできた、これこそ自分の絵だ思い込んでいたときがあった。心底恥ずかしいことである。今思えばひどいものだ。良くもあんな絵でと思う。確かに人が見れば、今の絵よりましである可能性は高い。見栄えの良い絵を描こうとしていたのだからそうかもしれない。

 当時は人まねと自分の絵というものの判別がついていなかった。よさげな絵を真似をしてでっち上げるのを、絵を描くことだと思い込んでいた。それを恥ずかしいと思うようになってから、なかなか苦労をしている。まだたいした絵は描けないで居るが、やっとこ人まねではないなと言える絵になってきている。これは最近の希望だ。

 もう少ししたら、自分の絵になるかもしれない。そうなったらカタログゾルネとして掲載しようと考えている。今のところ、まだ前進している実感がある。前よりは自分に近づいているという感じがある。それでそういうことをやるのはもう少し先だと思っている。確かに自分が見たようには描いている。さてその先が問題だ。

 私が死んでからも、絵が利用可能な形にしたいと思っている。絵がある程度できたら、一日一枚絵を掲載して、その絵のことなどを文章で加えたいと思う。80歳になった当たりからの3年間当たりを目標にしたらいいだろうか。

 毎年10枚位残せる絵が描ければすごいと思うのだが。さすがにそれはないかもしれない。目標である。何でも目標を立てなければできない。健康次第ということもある。今でも農業を続けさせて貰っている。毎朝の太極拳も石垣にいるときには続ける。三線で唄を唄う。食事にはきお付けている。お酒も毎晩は飲まないようにしている。

 一日も休まず続けることが、自分との約束である。どこかでブログが途切れているとすれば、そこまでで終わりになったということになる。明日次の文章があれば、生きているという事になる。

 次は1万日目というと、13年と8ヶ月ぐらい先のようだ。つまり、私が生きていれば84歳になっている。一応はその日を目標に置くことにする。その予定日を今から、予約投稿としておく。2032年6月1日と一応はしておく。予約投稿だから、その日までパソコンさえ動くようにしておけば、死んでいても予約投稿はされるだろう。

 そういう意味ではホームページの方などいつまで費用を払っておけばいいのだろうか。私としてはいつまでも継続できるシステムがあれば、その場所に絵など記録をしておきたいとは思っているのだが。例えば、100万円で100年間は続けてくれるシステムとかいうのはあるのものなのだろうか。まあ、そんなことはどうでもいいか。

 著名人のブログは、国会図書館で記録として残しているようだ。無名の庶民のブログではあるが、場所をとるものでもない。一万日連続で続けられたらば、どこかで記録してくれないものだろうか。この記録は自給自足をする人には少しは役立つと思うのだ。

 そう、以前は1600字と決めていたこともあった。四つの段落にして、おおよそ起承転結と言うことにしていた。今は区切りの文章を短くする。そして、長くなっても思いつくことは書いている。この最後に加えた段落もそんな感じだ。頭に浮んだことは書き留める。何だか絵と同じではないか。



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