米不足の理由

2024年8月は家庭の多くが米不足になった。その理由は様々あるが、一番は国の食料の安全保障政策が、硬直していて柔軟性が無いところにある。お米は9月になれば新米が採れる。美味しい新米が家庭で食べることが出来ることになる。石垣島では新米は6月のことである。
お米は政府は備蓄米制度があり、足りないときには放出して対応することになっている。大阪の吉村知事は政府に大阪のスーパーにはお米がないから、備蓄米を放出して欲しいと要請している。所が政府はお米は9月になれば新米が出回るから、備蓄米の放出はしないと説明をした。
当然のことで、今の備蓄米制度では政府が放出を決めたとしても、そのお米が家庭まで届くのは早くても3週間かかる。政府が検討会議を行い決定して、業者の入札があり、そのお米が精米されて、家庭まで届くには早くて3週間はかかると農水省では見ている。
では8月一週目に備蓄米の放出は決めなければ間に合わないことになる。そもそもこのお米が不足した直接的原因は、南海トラフの大地震の喚起情報であった。びっくりして西日本を中心にお米の確保が始まったのだ。地震が起きたのは8月8日のことだ。
もし農水省に先が読める人が居れば、米の買い急ぎが始まり、米がスーパーから消えるだろうから、備蓄米の放出の準備をすぐに始めただろう。もちろんそんなに先の読める人は、AI職員がいない以上、農水省職員では無理なことであろう。今お米がないのは、結果である。
もし、食料安全保障に関して真剣な職員がいて、日夜スーパーの棚を見ているような熱心さがあれば、8月の一週目に備蓄米の放出について、頭を巡らせたことだろう。実際には吉村知事に言われて、備蓄米があることを思いだしたぐらいのような気がする。あれが誰が担当だったの、ぐらいの話はあったかもしれない。
全く責任の所在が、お役所でには存在しない。お米が足りなくなったところで、何吹く風かで、他人事に過ぎない。これは嫌みである。しかし、お米がなければ、1週間ぐらい、パンやらうどんを食べて置けばなんでもない。こういう感覚のようだから、先回りして何が起こるかを考えるなどあり得ないだろう。
お米が店頭から消えた実際には、いくつかの原因が重なる。商品は足りなくなれば当然値上がりする。値上がりを見越して売り惜しみが起こる。米相場ではないが、流通業者の中には、飲食業者向けの大きな流通を担うところもあるだろう。農水とは違い先を読んでお米の確保は必死なはずだ。
すでに今年の早場米相場は3割高だそうだ。これは農家にはありがたい。もうだめかと思っていた稲作を続ける気になる。農水省はこれを期待していたのだろう。足りないぐらいが丁度良いと思っている。中国の台湾侵攻は明日にもあると、叫び続ける自民党議員と同じだ。
流通業者は買い占めたのだ。お米を押さえたはずだ。必要な銘柄米を押さえておけば損はないと踏んだだろう。スーパーだってそうだ。いち早く消費者が買い占めに走り出したことを把握して、少しでも多く確保しようと動いたはずだ。この時点で、農水大臣がもし足りなくなるのであれば、備蓄米を放出するので、心配しないで下さいと、口先介入をすれば良かったのだ。それをしないで、お米が上がるのを期待した。
もし口先介入が適切にあれば、家庭の買いだめ勢いも止まったし、業者の値上がり見込みの買い占めもなかったはずだ。確かに、日本の官僚は優秀だったはずだが、そうしたことも過去の30年の停滞前の話なのだろう。何でそんなことを自分が考えなければ成らないのと言う、責任者の所在が見えない。
1918年明治時代の米騒動は、第一次世界大戦の長期化やシベリア出兵を見込んだ米の買占めがあって、米価が急騰する。一升11銭だった米の値段は、およそ3倍にまで跳ね上がった。1918年7月、富山県の魚津で、米を船に載せて運び出そうとするところを目撃した住民が、それを阻止した。
さらに安売りを求めて米屋におしかけるという事件が起きた。これが新聞で紹介されると、同じような暴動が全国各地に広まっていった。食べ物は命の不安に繋がっている。パンやらうどんで我慢しろというようなことでは済まなかったのだ。
今回起きた米不足は政府の不在もある。総裁選挙で慌ただしくてそれどころではなかったのだ。岸田さんは外交で海外に行くのも止めて、何をしていたのだろうか。総裁選挙の裏対策でもしていたのだろうか。南海地震の警報の発令で何が起こると考えていたのだろうか。
起きてしまったことは、うどんでも食べて我慢するとして、日本の食料安全保障は大丈夫ではないと言うことが、今回明白になったと言うことを考えておかなければならない。まず備蓄米の放出は1週間あれば可能な態勢を作らなければ、ならない。緊急放出なのだから当たり前だろう。
精米機が無いわけではないし、玄米での放出でも構わないはずだ。備蓄米の供給ラインを整えれば済むはずだ。その仕組みが出来ただけで、米の流通業者の考え方が変るはずだ。今回は次の総選挙が頭にちらついて、お米の価格が上がれば良いという気持ちが、行動を左右したのだ。
農水省としては、お米が大事だと言うことを、国民に知らしめたいという気持ちも働いただろう。値上がりも必要だと考えているのだ。お米の価格が上がるためには、需給が締まる必要がある。だから、ぎりぎりまで生産量を減らす方向で政策が進んでいる。
実際に、数字に表れない形で、お米の生産量は減少している。小さな農家がなくなれば、企業農家がそれを担い、大型化されるから、安定供給されるという意見があるが、それは止めざる得ない小さな稲作農家の実態を知らない大きな間違いなのだ。
止めて行く小さな農家の農地は、中山間地の効率の悪い、企業農家なら手を出したくない農地なのだ。耕地整備が進められた田と、未整備の田んぼではまるで効率が違う。耕地整備が進んだ田んぼから企業的農家が工作を始めている。耕作放棄された田んぼは未整備の田んぼが多いのだ。
しかし、お米の安定確保では、こうした小さな農家のお米が、縁故米などの形で流通を補う方で、機能してきた。安全弁になってきたのだ。足りなければ故郷でお米を作っているおじさんに頼めば何とかしてくれたのだ。しかし、そういう統計に表れないお米の余裕が消えた。
1993年の米の作況指数は74であり「著しい不良」だった。この時には本当の米不足が起きて、備蓄米制度が出来たのだ。所が、101の作況指数で米不足になるなど、端境期であるとしても、あまりのことである。米不足は先送りされこれから翌年へと続くことになる。米の生産力自体が下がっている。
気候の劇症化により、戦争の頻発により、輸入を食料安全保障の材料には出来ない。国内でお米を確保することだ。それは、もう自給以外にない。作りたいという人が、誰もが稲作ができる態勢を政府が作る。これが一番確実な食料の安全保障になるだろう。