兵庫県斉藤知事は辞めないで

   



 斉藤知事は現代の政治家を良く表わしているような人間だと思う。自民党には悪い政治家は増えてはいるが、さすがに斉藤氏ほど、耐えがたい人格の人間はいなかったと思うほどである。自分を告発した県民局長を、嘘つき呼ばわりして、独断で処罰してしまい、職員の必死の訴えを公益通報ではないとした。

 斉藤知事を公益通報したひとは、定年を控えた渡瀬県民局長であった。しかも退職後の学校長の職も決まっていた立派な人なのだ。処罰のために、定年出来ず校長の職も受けることが出来なかった。何があっても、斉藤知事を問題にしなければならないと決意したのは、それだけの理由があったからなのだ。

 その公益通報を公益通報と認めなかったところに、問題は始まっている。自分の人生そのもののように長年勤務していた、会社や上司を公益通報するというのは、命を賭してのことにならざる得ない。その命がけの行為を、十分客観性のある調査も行わず、一方的に嘘八百だと決めつけた行為は、いかにも不自然だ。

 もし後ろめたい所が無いとしたら、当然客観性のある立場のものに、この公益通報を調査して貰うだろう。個人的に慌てて処理をしたという事は、痛いところが在るからとしか思えない。自分がそのことを一番分っているはずだ。この自己本位の姿は、維新の会的、非民主主義的対応だと思った。

 するとやはり維新の会が推薦した知事だと言うことだ。なるほどなと思う。それなら是非とも粘って職に留まり、維新の会を壊滅して欲しい。あっさり早く辞めてしまえば、選挙の頃には忘れてしまう。このグズグズの説明を是非とも繰り返して貰いたい。そうすれば、維新の会のだめさが際立ってくれる。

 岸田総理大臣は残念ながら辞めるのだそうだ。止めずに総裁選挙に出て、汚名を継続して貰いたかった。そうすれば、自民党は終わった。ここで止めると裏金の汚い話も、秘書給与のごまかしも、みんな無かったことになる。選挙民は忘れたがっているのだ。

 斉藤知事はまさに維新の会と自民党が推しただけの人間である。政治家の中でもいやらしさが2倍だ。しかも平然と強弁を続け、職責を果たすとしている態度の厚かましさも、桁外れである。そして記者会見の言い訳をずらずら並べている姿は、何という知性の低い人かと思う。頭が良いつもりのようだが、良くないと思う。

 東京大学出の元官僚と言うからいわゆるエリートである。自分では優秀と思い込んだ世間知らずなのだろう。この程度のごまかしで、何とか言い訳が通ると思っているところがすごい。この能力では知事の職務も十分に出来ないのだろう。知事の仕事を理解もしていないのだろう。

 まあ、それでも止めて貰ったら困る。兵庫県民はひどい知事でしばらく困るだろうが、斉藤知事が粘って辞任しなければ、選挙ではさすがに自民党にも、維新の会にも影響が出るはずだ。是非とも維新を道連れにして欲しい。それが出来れば、日本の為にいくらか役立つというものだ。

 維新の態度も実に見事に日和見である。毅然としたところが何もない。後出しじゃんけんを探るばかりである。なぜなにも言えないのだろう。公益通報とは何か。理解していない。いや理解しているから、ここで認めたら、大阪でも同じことが起こるのだろう。

 そもそも、日本の官僚は優秀だというのは、昔の話で、最近は全く通用しない。残念ながら先の読めない、出処進退の汚い斉藤氏程度なのだ。日本がダメになっても仕方がない。斉藤氏を選んだ兵庫県県民も黙っていてはだめだろう。私と一緒で、維新の巻き込み崩壊を願っての沈黙なのだろうか。

 パワハラの論理というものがよく分った。言い訳がすごい。自分というものへの思い込みが強いのだろう。自分におかしな点があるわけがないと思い込んでいるのだ。こういう関わらない方がいい人と言うのが居るものだ。たぶん、見えないところで、徹底して内部通報者を叩いていたはずだ。

 本来であれば、警察も検察もそうした知事の裏の行動を調べるべきだ。所が権力と連んでいるのだ。どうにもならないほど、癒着しているのだ。この行政の悪習が、内部通報者自殺に追い込んだ原因のはずだ。分らないくせに勝手なことを書くなと言うことだろうが、こうした事件の背景はいつもそうなのだ。

 あの鹿児島県警の本部長のひどい行為も、何やらグズグズではないか。内部通報が何も生かされていない。まるで問題なしでは収まりが悪いから、いくらか問題があった程度のことで、お茶を濁している。これで済んでしまうから、何度でもこうしたおかしな事が起こるのだ。

 鹿児島県警の本部長は出版社の強制捜査をして、出版社のパソコンから証拠を持ち出している。これは違法行為だ。警察内部の事件を、内部通報をすることは出来ないでは無いか。憲法に保障された報道の自由を、警察が破っているのだ。まるで戦前の警察権力の姿が、鹿児島にはあるのだ。

 守らなければならない報道の自由を破ってまで、強制捜査をした理由は自らの告発を、もみ消すために他ならない。日本の報道各社はこの鹿児島県警本部長を告発しなければならない。そうしなければ、この鹿児島県警の横暴な強制捜査が前例になり、報道の自由は奪われてしまう。

 何故、NHKは鹿児島県警を訴えないのか。国民のための報道機関であるならまずそうした姿勢で行動しなくてはだめだ。大放送局はすでに、国民側に居ないということかもしれない。それを分かっているから、公益通報を小さな報道に行ったと言うことかもしれない。

 日本の社会はパワハラ社会だと思う。パワハラは昔から、至る所にあった。上に立つ人の多くはそれが当たり前だと思っていた。それは日本人に染みついた性格である。民族性とまで言えると思う。それにへりくだって従うのが、部下という立場だと心得ていたのだ。

 そうした立場を心得た人ばかり居るから、パワハラがなくならないのだ。要領よく立ち回り、出世したいという人が今でも大半なのではないだろうか。知事も、警察本部長も、役割である。人間としては何ら変らない。威張って良いとは誰も言っていない。

 公益通報制度が生かされるためには、報道機関の自立が重要だ。報道が権力に取り込まれているから、公益通報が十分に行われないのだ。だからパワハラが減らないのだ。日弁連に公益通報窓口を作ったらどうだろうか。そこは絶対に情報を漏らさない場所として、確立させるのだ。
 
 そう思って、調べてみると各県の弁護士会に窓口らしきものは在る。ただ少し曖昧だ。日弁連として、赤ちゃんポストのような、明確な受け入れ窓口をネットで作るべきだ。秘密厳守を明確にして、ここに通報すれば、公益通報になるという場所だ。そうでなければ、安心して公益通報は出来ない。

 - Peace Cafe