74歳の一日を生きる

   



 人間は生まれてきて、長くて100年生きて、そして死ぬ。自分とは何か。自分を見付けたいと生きてきた。曹洞宗の山梨の山の中の自給自足で暮らすような小さな寺院に生また。世田谷中学という曹洞宗の中学に通った。中学生の時に得度をした。気持ちの中では坊さんとして生きてきた。

 生まれてきたことを知る。死んでゆくことを知る。そして、今という時間を生きる事に余すところなく力を注ぐ。生死の中に仏あれば生死なし。是時初めて生死を離るる分あり。道元禅師の言葉である。思えば中学高校生の頃は僧侶として生きようと思ったときもあった。

 自分がお布施をもらって暮らすと言うことが耐えられなかった。それで内的には宗教者として生きてゆくが、僧侶にはならないと決めた。道元禅師の言われる禅の探究に生きているつもりである。三沢先生には「お布施を貰らってあげらえるような人間になれ」と言われた。

 が未だお布施を貰えるような人間には成れないでいる。絵を売ると言うことにもなじめなかった。そんな性格だから宗門の僧侶にならなかったことは間違えではなかった。ろくな僧侶にはなれなかったはずだ。僧侶にならないで、絵描きになることにした。その絵描きにも成れなかった。

 自分を探して絵を描いている。これが私の勝手な宗教である。絵が安心できる逃げ場のようなものとも言える。禅に生きると言うことであれば、只管打坐である。しかし、それは私の乞食禅では出来ないことであった。やりたいこと、やらなければならないと思うことが、あまりに多すぎた。

 絵を描いていると、絵は段階的なものだと言うことが分かる。坂道ではなく階段である。絵を描くことは長い階段を一段づつ上っているという実感がある。そうか13階段なのか。その現実を思うと生きると言うことは厳しいものである。あるとき一段上ったと言うことに気付く。どんな努力が幸いだったのかは分からない。

 一段上れたのだから、次の一段もよじ登れるだろうと思っている。その一段が、今までの絵を捨てることであったり。絵を描く技術を身につけることであったりする。正しい方法は分からないから、ともかく描き続けると言うこと以外にない。

 そうしたときに、ああ絵を描くことは自分という物の探究なのだと改めて思う。絵に現われてくる物が、いかにもインチキであるのは、自分がインチキなのだから、致し方ないことだとよく分かる。絵が空っぽで、表面的な技術だけなのは、自分という物が空っぽだからだと思い知らされる。

 絵に吐き出された描かれた画面という結果は、自分のアクのような物だ。それは最も尊敬できる中川一政氏の絵であっても素晴らしいアクである。人生を煮込みつづけてでてくる、生きるアクである。この人はここまで絵に出し尽くしたのかという感動を受ける。

 個性というような物は、ひとりひとりの特徴であり、生物の個別性に過ぎない。個性を越えて、一段ずつ登り、普遍に通ずるところまで自分を煮詰めることが出来るかである。自己流を極めて不変に至ると言うことである。

 絵に於いて、自分が見付けた方法論を否定し続けることしかない。日本では職人仕事が尊重されるから、そこそこ良いと言う方法を見付けると、それを自分であるとして、磨き続けることになる。これが一番危険なことだ。あくまで自己否定である。なんだこりゃーである。

 いつも自分を乗り越えてゆく。一段上れたと思ったら、次の壁があると考えなければ成らない。常に自己否定することが、自己探求の階段なのだ。自分らしさとは、永遠の課題なのだ。これで良しというような物はないのだ。探求を続けること自体が自分である。

 その道程が、私絵画である。絵が自己満足になっていないか。昨日描いた絵の画面を見れば分かることである。日々次の領域に挑んでいるか。小さな良しに満足しようとしていないか。新しい何かに挑んでいるかどうか。確認できるところが、私絵画の良さである。

 絵は40歳ぐらいが限度だと思っていた。周りを見るとそういう人ばかりだったからだ。ひどい絵を描いている大家と言われる人の、若い頃の絵を見ると良い絵を描く人だったと言うことがよくあった。良い絵も繰り返している打ちに、つまらない絵になる。

 若い頃の良い絵は人の絵を取り入れているために良いと言うことがある。自分流をやろうとしたら、何もなかったという人もよく見かける。絵は生き方が現われてくる物であると考えるようになった。絵は人間次第だという当たり前の事に気付いた。

 人間が出なければおもしろくないし、人間に魅力が無ければ、現われたとしてもろくな物でもない。魅力ある人間になるにはどうしたら良いのだろう。そこに禅坊主がいた。ただ者ではない人間がいた。たぶん禅の修行の結果なのだろうと考えた。只管打坐は千日回峰行よりも困難である。

 只管打坐は自分には無理であった。そこで、乞食禅のインチキ人間として、只管打画と言うことにした。絵にしがみついて生きてゆけば、いつか自分という物に到達できるだろうと考えた。絵は幼稚園の頃から好きなものだった。

 50年以上が過ぎた。未だ自分には至らないが、自分への階段は見えている。このまま行こうと思える。この先に自分はありそうだと思いながら絵を描けるようになった。描きたいと思う物を、描けるようになった。もう一歩先がある事も分かる。

 のこりは計画では27年である。100歳までこのままの毎日で続けられれば、何とかなるかも分からない。あと8年はのぼたん農園を作りながら、絵を描いて行くつもりだ。毎日が楽しい。有り難いことに楽しいと思うことだけをやれている。

 80歳までは何とか人並みに身体を使って、農場建設が出来ると考えている。身体を使い農場を作る喜びを、しばらくは楽しめそうだ。その先のことは80歳を超えられたときに考えれば良いことだ。今は一日一日十分に絵を描くことだけを考える。

 この一日の暮らし方が、自分らしいと言うことなのだろう。それは自分が楽しいと思う事だけをやって、迷惑はかけないですんでいる。「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず 」と言う論語の言葉を思い出す。孔子様は残念なことに私の今頃の年で死んだ。

 孔子様は80歳になったらなんと言っただろうか。私はまず80歳までは生きて、のぼたん農園の完成を見届けたい。そこまでやるのが、生まれてきて、80歳まで生きる、巡り合わせの責任だと考えている。80歳から先の自分の生きるを見てみたいものだ。

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