新しい資本主義とは投資に依存することらしい。
岸田総理大臣は国連で演説をして、その後アメリカで記者会見をした。こういう機会にこれからの方針をしゃべる総理大臣が多い。注目されてニュースになりやすい機会と言うことなのだろう。しかし、今回の演説での主張は「新しい資本主義とは、投資立国」と言うことらしい。
岸田総理大臣の新方針は資産運用立国 と言うことだと語っていた。「道徳の無い資本主義」ということになるらしい。この総理大臣は分りやすい。自分の考えという物がない。なぜ、新しい資本主義を標榜した人間が、資産運用立国などと言わされるのか。
不労所得を奨励する国家を目指そうというのか、少し異常ではないだろうか。勤勉を奨励するならば分かる。道徳のある企業を奨励するのであれば分かる。その道徳のある企業に投資しろというのであれば、まあ許せる範囲のことになる。
アベ氏もそうだったのだが、総理大臣という存在は建前では理想主義を口先では唱える。現実は誰かにしゃべらされているらしい。2枚舌というか、利潤で暮らすことを奨励するような、道徳心を失った総理大臣は日本の恥だ。せめて自分が何を発言しているかぐらいは分からなければ。
その恥じに気付かず、偉そうに資産運用立国など堂々としゃべれるのだから驚く。頭が悪いので自らの発言が理解ができないのだろうか。見たところそんな様子もないが、それ以外に日本の未来はないと思い込まされたのだろうか。
どうも資産運用特区の実際は分からないが、石垣市がそういう特区を申し出れば、外国人が石垣市に投資をすることを、行政として支援する仕組みを作ると言うことになるということなのだろうか。まあ中国人が石垣島で大いに投資をして、資産運用すれば、石垣島にはミサイルが撃てなくなると出も考えているのだろうか。
中国人が石垣市の島を購入することを、政府として応援しようと言うことになるのだろうか。それなら尖閣諸島が中国人所有になるのも在りなのか。無人島を購入した中国人の話で、大騒ぎしたことを忘れたのだろうか。外国人には中国人を入れないと言うことなのか。それはさすがに差別だ。資産運用に土地購入は入れないと言うことかもしれない。
外国人の資産運用を日本政府が何故支援しなければならないのだろうか。もう日本では、日本人による新しい産業で、国を活性化させることを諦めたと言うことなのだろうか。資産運用で食いつなごうなどと言う発想を政府が持つようでは、もう日本は間違いなく終わりである。
唐様で書く、外国人募集札。ここまで落ちぶれたのかと思う。何故新しい産業を日本人は開拓できないのか。日本人の能力が劣化したと言うことか。教育の失敗なのか。道徳教育やら外国語教育など、日本人が日本人としての文化力を育てることを見失ったと言うことかもしれない。
日本人が農業から離れたことで、日本人の観察力や発想力が衰えたと言うことでは無いか。創造的文化のない国では、新しい産業など無理だ。百姓仕事は日々の観察によって成り立つ。日々の予測によって成り立つ。百姓仕事は創意工夫に満ちている。
この江戸時代に培われた。あるいは、縄文時代、弥生時代から続いてきた日本人の蓄積された生活能力が、戦後の日本の産業立国をめざましいものにしたのだろう。それがこのところの失われた30年によって、完全に日本人の能力が低下してしまったようだ。
少なくとも総理大臣を動かしている人達はそう判断をしたようだ。だから、資産運用立国などと新しい資本主義を意味づけたのだ。貯金をすべて、投資に回させようと言うことだろう。日本が利潤で暮らす国になると言うことらしい。これは民族として間違いなく劣化の方角だ。
日本人はもう一度一次産業を見直さなければならない。国の成り立ちの基本は食料が自給できると言うことである。食糧が自給できないと言うことは、生活の基盤を外国に依存すると言うことである。例えば、石油が大量に出るから暮らしていける国があるとしても、それでは国の安定はない。
どこの国であっても、食糧の確保は自ら行うようでなければ、その国の安定はないだろう。日本であれば瑞穂の国の米作りである。米づくりを捨ててまで、観光業に依存してしまうことは、その地域の安定を失うことになる。田んぼを止めることは日本人を止めることになる。
日本人としての文化を失えば、新しい産業の創出は不可能になる。先ずは地道に食料生産に戻ること以外に、日本人が立ち直る道はない。みんなが投資をして、その上がりで生活しようなどと言うみみっちい人間になれば、日本人は守銭奴になり、最悪の民族になる。