田んぼを始めて散歩をしていない。

   

 
 

 田んぼにはこのところカンムリワシがきている。下の田んぼが荒起こしをしたので、虫が地面に現われて居るのだろう。それを狙って、木の枝に止まっている。車を止めて絵を描いているすぐ脇なのだが、人がいる事や人の動きにも余り気にしている様子は無い。

 絵を描いていて、顔を上げるとカンムリワシがじっと枝に止まっている。餌を探しているような仕草も無い。ただ、たたずんでいる。カンムリワシはl考えてでもしているように、枝の一部になってしまう。自然そのものである。
 
 絵を描くと言うこともああなれればとつい思う。つまり、何も特別なことは無い感じだ。カンムリワシはカラスにも脅かされている。弱虫の鷲だ。それでも泰然自若としている。カラスのような慌ただしさが無い。本当はカラスより強いからああ出来るのだろう。

 石垣島で田んぼを始めて良かった一番は、絵を描く場所が安定したことである。車を止めていても、さらに安心である。車の中でしか絵が描けない理由がすこし分かる。人の視線が気になると絵が描けなくなる。車の中だと周りからの視線が遮れる。

 以前は絵が一段落すると途中で散歩をしたのだが、今は田んぼでの作業を何かしている。草刈りや水源の掃除や、水牛のわかばの水やり。散歩よりも目的があるからやりがいがある。何も無ければ、わかばを川に入れてやる。

 午後は暑いのでわかばを川に入れてやりたい。水もやらなければならない。必ず田んぼに行く。田んぼに結局一日中居ることになる。昼は食事に帰り、昼寝をしてもう一度田んぼに行くと言う生活である。こうなれば一日中絵を描いていると言うことになる。

 一日一枚絵を描くということが、当たり前になってきた。一日中絵を描いていれば、良いか悪いかは別にして、絵は描ける。描かないでも良いのだが、ついつい描く。絵は失敗をたくさんすることも、意味があるようだ。たしかに失敗は成功の元だ。

 絵を描きに行く場所が安定してあるという意味が大きい。これが田んぼを始めた一番のよい結果である。崎枝のいつも描かせて貰っていた場所も良かったのだが、親しくさせて貰っていた小嶺先生が牧場を止めたので、行きにくくなった。

 毎朝通る場所の途中に良い耕作放棄された田んぼがある。使えないものかいつも気になっていた。たまたま、その田んぼの隣りの田んぼを荒起こしされている方を見かけた。良い機会なので、降りていって話を伺った。なんとその方は小田原で紹介されたKさんだった。この偶然に驚いた。

 小田原で知り合いになった田嶋さんという方がいる。石垣島から、小田原に越してき人である。農業に興味があり、小田原の農業の仲間の人から、農地を借りて耕作をしていた。その方から、紹介をされた人だ。石垣島の話を色々聞かせていただいていた。

 石垣に行ったらば、ぜひとも農の会の活動を石垣島でも始めて欲しいと言うことだった。いや、絵を描きに行くのだから、石垣島では農業はやらないのだと話していた。そんなことを言わないで、石垣島には農の会のような活動が必要なのだからと、強く主張されていた。確かにあの頃は石垣島で農業をやる気持ちは無かった。

 そして紹介された方が、石垣島の農業者のKさんである。同級生の方だそうだ。この方が相談に乗ってくれるように頼んでおくから、石垣に行ったならば、是非とも会いに行くようにと言うことだった。一度電話連絡はしたのだが、体調が悪いと言うこともあり、そのうちという事に成っていた。

 その方がなんと、耕作放棄地の隣でトラックターで耕作されていた方だったのだ。それで今回、田んぼを始めたことをお伝えした。そして、今の田んぼは臨時の場所であり、今年中に次の田んぼを探さなければならないと言うことをお話し、何とか次の場所を紹介してもらえないかお願いをした。

 朝偶然お見かけし、降りて尋ねたことは、何か導かれたようなことだった。もしこの縁が実を結べば、石垣島の農業のために何か出来るかもしれない。そのことは自分の絵のためでもあるようだ。動ける間は田んぼをやる。あと10年田んぼが出来れば、石垣島の有機農業のイネ作り技術が確立できるかもしれない。

 石垣島に来て、充分に絵を描かせて貰っている。田んぼのある石垣島の景色が好きだからだ。それは石垣島に美しい田んぼのある景色が残されてきたからである。石垣島の田んぼも耕地整理はされているのだが、それでも自然の中にうまく調和している。

 その田んぼを実際に耕作する経験は、田んぼを描くことに必ず生かされてくると思っている。田んぼをやらないければ分からなかったことがいろいろある。分からないで描いていた事に驚くほどだ。田んぼを始めて見て、小田原の田んぼとの違いに気付いた。

 身体で分かって絵を描くと言うことがある。絵が絵空事にならない。きれいな景色をきれいに描いているだけなのだが、田んぼを見ている眼が少し違うものを見始めている。あわてることはない。早く成果を得ようとすると、人まねや自分まねをすることになる。

< span style="font-size: 17px;"> ゆっくりと自分の世界を、見ているとおりに描くようにして行けば良い。石垣島でのイネ作り法が見つかるためには10年かかる。絵だって同じだ。自分という人間の奥深いところに、絵が到達するためにはまだまだ時間がかかるのだろう。

 無理に本物風にするのが一番行けない。借りてきた人のやり方でこじつけることになる。つまらなくても良いので、見ているものを直視することに専念したい。そのためには田んぼをやる必要があった。今日は苗取りだ。どんな苗になっているだろうか。


 

 - 「ちいさな田んぼのイネづくり」