石垣島と甲府盆地の風景の違い
畔際に立つのは柿の木である。この下にある田んぼなので、柿の下田んぼという事になった。柿の葉という物は美しいものだ。新緑も良いし、紅葉も美しい。このボルガの舟歌の様な耕運の様子も柿の木にふさわしく良い。
トラックターが田んぼに入ったところで、ミカンの木を抜根した場所にもぐってしまった。やっと引き出すことができたが。どうしようかという事で、耕運機で代掻きをすることにした。土の出ているところや深すぎる所では耕運機は動かなくなった。水を多くして、前で一人が引っ張りながら耕した。
山室さんが1000円で耕運機を東さんに直前にくれたのだそうだ。何というめぐりあわせか、早速役立つことになった。8馬力の耕運機なので、結構力があった。かご車輪はないのだが、大きな代かき用のタイヤがあったので、これに付け替えた。
案外に具合が良くて、余り負荷のない場所は一人で耕運が出来た。かご車輪でもないのによくできたものだ。この作業を見ていた大瀬さんが、自分の持っているかご車輪を貸してくれることになった。2回目の田植え前の代掻きは、かご車輪を付けてやることなった。何か良い巡り合わせがあり、有難いことだ。
そう2回代掻きの予定なのだ。1か月水を張り管理する。田んぼの様子を見て、二回目の代掻きをしたいと考えている。もしかしたら代かきはしないかもしれない。初めての田んぼだから、様子を見ながらである。
10年以上前には白鴎病院の裏の田んぼを、耕運機で代掻きをしたことがある。その時あまり良い代掻きにはならなかった。しかし、今回やってみると案外浅く耕せて耕運機も悪くない。柿の下田んぼでは今後もむしろ耕運機代かきにしたらいいと思う。アラオコシはトラックターでやることにすればいい。どのみち一日の作業である。耕運機ならば軽トラで移動できる。
話は突然絵のことに変わるが、初夏の石垣島からいかにも日本の春らしい小田原に来て、風景の違いに驚いている。樹木の様子がまるで違う。濃いジャングルのみどりと春の淡い緑の違いは別世界。樹木が風景の大半の表層をなしているのだから、風景自体の印象は同じ自然とは思えないほどである。
まだ桃の花の残る塩山から笛吹の風景を描きながら、自分の中に沁みついていた、眼の中に残っている記憶の中の色を思い出している。この色を目に焼き付けながら絵を描いていた。その色彩を石垣島で新しい色に転換しようとしていた。強い、極めて強い緑だ。
小田原に来て絵を描いていて、何かがゆすぶられている。戸惑いもあるが、春の甲府盆地の優しい風景と自分の繋がりを改めて見直している。実に繊細である。こんなにも微妙な色合いの中で育ったのかと思う幸せを感じた。この色を子供の私が感じていたという事に感謝したい気分である。
この色になじんでいるというか、美しいと感じるのはやはり生まれた時からの色彩だからだと思う。たぶん砂漠の世界の人には、砂漠の色があるのだろう。子供のころに目にした色彩はその人を作り出しているのだと思う。
色で絵を描くようになったのは、この色が好きでこの色を再現したかったからに違いない。この色の調子を見ていると私が自然に許された気持ちになる。これは石垣島と較べると凄いことだ。石垣島の自然は跳ね返される。とても入っていけない強さがある。
石垣島に暮らすようになって、この甲府盆地の甘い自然が稀有なものであったことに気づいた。子供の頃から染みついた自然なので、その際立った複雑さをただ受け入れていた。このあまりに柔らかなあいまい色はじつは特殊なものだったことに改めて気づいた。
今日は篠窪に描きに行くつもりだ。いつも描いていた篠窪で確かめてみたいと思っている。水彩画を何故選択したのかがわかるような気がしている。この関東の自然の色は水彩画でなければ表わすことが難しい色彩ではないかと思う。それにしては何故この色と調子で日本画は描かれなかったのだろうかと思う。
日本画の色彩は私の見る自然の色には見えない。このあたりには日本人がやり残した絵があるような気がする。中川一政の絵は最高のものだと思うが、私の見ている自然の色とは違う。やはり油彩画の色である。西洋画の色である。ヨーロッパに学んだ哲学がどこか見え隠れする。
自然の大きさにもっと許されていい。この自分の中に沁み込んでいる色彩がそういう事を言っているような気がする。自然は受け入れてくれるものだ。自然にゆだねて絵を描いていいのではないか。作り出す必要はないと思う。自分という物が自然をどのように受け止めるかの方の問題ではないか。
受け止める器であると自分を自覚する。そして、その自分という物を深めてゆくだけではないか。田んぼを何故やってきたのかという事になる。田んぼをやる自分が田んぼを描くためだろう。自分が食べる食べ物を作るという事が自分が生きるという事だと見定めようとしてきたのだとおもう。
自分が自然を見ている。その見え方は自分の深まりで変わる。自分が変わることで絵も変わる。代わり映えしないのであれば、自分が自然の何たるかをまだ受け止め切れていないと
いう事なのだろう。それほど自然は全体である。人間は自然の下に生きていることを改めて感じる。
いう事なのだろう。それほど自然は全体である。人間は自然の下に生きていることを改めて感じる。
石垣島と小田原を行き来することは自分が絵を描くために、大きな要素になっている。石垣島に行く前には考えていなかったことだが、前進するための重要な材料になっているようだ。いつまで小田原に来れるかわからないが、来れる間は田んぼを続けさせてもらいたいと思う。あと2,3年は大丈夫だと思うが、何しろコロナ・パンデミックというようなとんでもないことが起きている。
絵を描くことと田んぼをやることは、密接に関係している。不思議なことだが、大きな違いはないとまで思う。この感覚は田んぼと絵を描くことの両方をやっている人以外にはわかりにくいことだろうが、間違いなく不思議な形でつながている。
午前中は絵を描く。午後は田んぼをやる。これくらいの配分が良いのかもしれない。逆だと疲れて午後に絵が描けない。石垣島でもし田んぼを手伝う事になったらば、午後少し手伝う位が良いのだろう。午前中絵を描くという事は変えないことにして。
昨日は午前中は篠窪に描きに行き、午後は柿の下田んぼの排水口づくりをした。その後今日からもう一度、甲府盆地を描きに行くので、その準備をした。とても期待をしている。今度こそ何か描けるかもしれない。