第50回 水彩画 日曜展示
第50回 水彩画 日曜展示
237「下田の海」
2021.4
238「石垣の海」
2021.4
239「小田原の海の朝」
2021.4
240「山北の山藤」
2021.4
241「黒姫高原」前に描いた絵を続けて描いた。
2021.4
242「飯縄高原」インドの水彩紙
2021.4 前に描いた絵の続きを描いた。
243「信濃川河畔」
これも前に描いた絵の続きを描いたものである。
2021.4
海の絵は自由だから面白い。雲もそうだ。どう描いてもそれらしく見える。余りに多様だから説明という物が要らない。出来れば、何でも海や空のように自由に描けばいいのだろう。
形のあるものになると、説明という物が出てくる。説明という物はいらない。説明しないでそのもののリアルさに迫れればいい。雲や海のように。
小田原で久しぶりに農作業をしている。合間に絵を描きに行く。これが昔からの小田原の暮らし。農作業と絵を描くことは相性がいい。絵を描くときは田んぼの作業のように。田んぼの作業の時は絵を描くように。
いつもそう思っていた。農作業をやっているときに絵が出来てくるという経験は何度もある。これを描きたいという物に気づく。描きたいものが見えてくるという感じだ。それを実際に描こうとすると、少しづつ違ってゆく。
せっかく見えているのに、見えているものが、絵にならない。でも見えているのだから、いつか絵になると思い描いている。