全力をつくすと言うことと池江璃花子選手

   

 

   池江璃花子選手が日本選手権の100メートルバタフライで優勝をした。オリンピックの出場権を得た。白血病からの回復である。全力をつくすと言うことを見せてくれた。真剣になると言うことの極限を見せてくれた。応援する私にまで、日々絵を描くことに大きな勇気をもらえた。スポーツというものの素晴らしさである。 

 池江選手は白血病にならなかったならば、オリンピックで間違いなく金メダルを争う選手であった。自由形とバタフライで世界と肩を並べた女子選手だ。しかも短距離での活躍は日本人の体型では不可能かに思える中での躍進である。そのすべてがすばらしいものだと思えた。新しい日本人のように見えていた。

 ところが、その池江選手が病気になられて、オリンピックは無理だと誰もが思った。辛く苦しいことであっただろう。応援していた私が辛いくらいである。その苦境をはねのけての再起である。この精神の強さには驚くばかりである。人間の素晴らしさが形となった。池江選手以上の苦しさを人間として乗り越えた人は滅多に居ないことだろう。長い恐ろしい復帰までの練習の道のりだったに違いない。それをなんと乗り越えて、日本一になった。

 もうこれ以上の感動はない。池江選手も涙を流していたが、私も涙が出て仕方がなかった。人ごとでなく嬉しくて仕方がない。これほどまでにも頑張ってくれたことが、私自身の頑張る気持ちを直に後押ししてくれた。日本中で池江選手への感謝の気持ちが溢れたに違いない。

 一人の頑張りはひとりで終わらない。どんどん波及して大きくなっていく。それを見える形で実現できるのが、スポーツ競技の力なのだろう。オリンピックで活躍するような人は、そもそもすごい努力のできる人なのだろう。そして生まれもっての類い希な肉体の人なのだろう。その人が病気という苦境から再起する姿をこの2年あまり、目の当たりに見せてくれた。

 病と苦しい治療で痩せ細ってしまった。その中でも頑張っているという報道は時々されていた。徐々に回復しているらしいとは言われていたが、病気の回復から、選手として厳しい練習を再開した。まさか日本選手権で優勝するほどに回復する事は誰も考えられなかっただろう。

 そうした人間の極限のような姿を実際に形として見せてくれることがすばらしい事だと思う。特に同じ日本人が頑張ってくれると、自分だってやれるんだという、勇気が湧いてくる。心よりのお祝いと、感謝をしたい。

 池江選手はオリンピックというものを目指して頑張ってきた。それを思うとなんとしてもオリンピックが開催され、出場できることを願う。コロナを考えると中止する方が賢明だという判断もあるが、選手のことを考えると、あんなに頑張っている人を参加だけはさせて上げたいものだと思わざる得ない。

 しかし、今の情勢はかなり厳しいことになっている。コロナの第4波が広がる中、聖火リレーが無残な形で続けられている。商業オリンピックでは聖火リレーはスポンサー企業のアピールの場面なのだろう。ただでさえ機会を失いつつある、スポンサー企業から聖火リレーのアピール場面を奪うことが出来ないのだろう。これがタレントランナーが出てくるの意味である。

 選手のためにオリンピックを開催したいのであれば、聖火リレーは即座に中止しなければならない。コロナの蔓延の可能性があるような聖火リレーをやることは、選手のことを忘れた行為である。もし池江選手に出場し、泳がせて上げたいなら、すぐさま聖火リレーは止めなければダメだ。

 聖火リレーを無理矢理強行して、オリンピックムードを盛り上げようというオリンピック委員会の方針は、間違った作戦である。どうしてもスポンサー契約がちらつく。コロナはムードなどと何の関係がない。コロナは大阪で見るように感染力を高めた。何も忖度をしてくれない。

 勇気のある各県の知事は一日も早く、中止を申し出るべきだ。様々な準備をしたのだろうが、止める勇気も必要である。聖火リレーが進むに従って感染が拡大すれば、聖火リレーが悪者になる。そうなればオリンピックは出来なくなる。

 もう大半の国民の気持ちは聖火リレーを見て盛り上がるような所にない。私だって、具志堅用高選手が石垣島の大通りを走る姿は一目見たいとは思う。そして、オリンピックへの期待感を高めたい。しかし、今はそんな状況には全くないのだ。人の密集を見てハラハラするばかりである。

 テレビで放映される映像を見ると、この人混みは感染が広がり大変だと、コロナのことばかりが気になるのだ。スポンサーの車や垂れ幕が写っても、良い気持ちにはなれない。どうしてもやるなら、人のいないところでやって欲しいと思わざる得ない。

 テレビ局は相変わらずタレントが走るところばかりを写す。今日は栃木県、今日は岐阜県とそうなんだこの人は岐阜の人だったんだと言うことになる。しかし、協力で走るタレントには申し訳ないが、桜の会に動員されていたタレントと同じにしか見えない。迷惑至極の人寄せパンダ。

 こうやって頑張って聖火リレーに参加すれば、好感度が上がり、勲章がそのうちもらえるかと、いや、走ることを拒否すれば、勲章がもらえなくなるかと、余
計なことがこの無残な聖火リレーを続けさせている。日本が地獄に転げ落ちて行く、奇妙な葬列のように見えて成らない。

 聖火リレーがオリンピック開催の足を引っ張ることになるのが分からないのだろうか。こんなことでは頑張っている選手の人に申し訳が立たないではないか。池江選手がオリンピックに出ようと辛い再起の練習に耐えたことを、賞賛するのであれば、その一事を大切にして、オリンピック開催の可能性をだけ考えなければならない。

 まずは、聖火リレーの中止。競技者を最優先した開催。開会式などのイベントも縮小ないし、中止。観客は20%程度とごく少数に限定する。選手同士の接触も必要最小限にとどめる。選手のPCR検査は頻繁に行う。審判や協議関係者は優先的にワクチンの接種。

 コロナが蔓延する中、オリンピックを強行しようというのである。オリンピックは人類がコロナの中でも生き抜いて行くという象徴である。コロナに人間が勝つなどと言うことはそもそも無いのだ。どう共存して行くかを模索するオリンピックと考えることだ。
 選手村なども日本のコロナ対策ではクルーズ船の二の舞になりかねない。どうすれば、感染対策が可能か、成功した台湾などにお願いして対策を検討してほしいものだ。AIによる管理も必要になるのだろう。日本では無理という前提で考えてほしいものだ。それが選手のことを本当に考えると言うことである。

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