岸田新首相の新しい資本主義とは

   



 岸田新首相は「新しい資本主義」の実現を政権の基本方針に盛り込んだ。経済用語には無い新しい言葉だと思う。印象としては、新自由主義経済の自由競争の失敗が生み出した格差社会を、倫理を伴う経済政策によって是正すると言う意味なのではないだろうか。

 新しい沿い売り大臣が主張する、新しい政権には何かと期待しているが、今のところその具体的な新らしい資本主義のかたちが示されているわけでは無い。なんとなく選挙前なので耳障りの良いところだけが出てきた気がする。アベ氏や麻生氏や甘利氏が倫理ある経済など考えるはずも無い。

 岸田氏は日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一の思想に共鳴する議員の集まり「新たな資本主義を創る議連」(岸田文雄・安倍晋三・麻生太郎・甘利明)
このメンバーを見ると何が新しいのかが全く分からない。経済の道徳を無視してきた3人が何故ここにいるのだろう。

 渋沢栄一は道徳と経済の統一を唱え、利潤の追求だけでなく、公益を重視する経済の確立を訴えた明治勃興期の人である。経済だけで無く、文化や学問にも財団を作り支援をした。

 明治の文明開化で、物質的な面で急激に豊かになった中、精神的な豊かさへが揺らいだ。そうした背景の中、皆が満足する社会、「機会平等」の社会を模索した。道徳と経済の両立を目指した と言われている。しかし明治帝国政府は、近隣諸国に軍事的進出をすることになる。日本の道徳が失われて行く姿でもあった訳だ。

 国連で目標として掲げられた「SDGs(持続可能な開発目標)」というものがある。「世界で誰一人取り残さない」という目標はまさに渋沢氏の考えと同じである。このことを達成するためには長期的な視点で、今までにない取り組みが必要になる。果たして、岸田氏にそうした資本主義を転換する視点があるのだろうか。

 岸田氏は新内閣を「新時代共創内閣」と名付け、新しい資本主義の実現を目指す、としている。違うだろうと思いながらも今の段階ではいくらか期待もしている。「令和版所得倍増計画」とも発言している。子育て世代への教育費、住宅費支援、介護士/保育士などへの待遇改善、賃上げ企業への税制優遇などを挙げている。

 習近平氏は「共同富裕」で格差を縮めて社会全体が豊かになることとしている。そのための中間層の勃興を目指すとしているが、国家の利害を超えて利益を追求する、大企業を抑制するためのようにも見える。国家資本主義の限界を修正しようというのではないか。企業や個人で資産や利益、収入が多いグループから「余剰の富」を下層に対して寄付という形で出させるもの。

 閣議決定した岸田内閣の基本方針には「富める者と富まざる者、持てる者と持たざる者の分断を防ぎ、成長のみ、規制改革・構造改革のみではない経済をめざす」とある。確かに言葉としては公益を重視する渋沢の思想に通じる気もする。本当であって欲しい。

 岸田首相が「転換」をめざす新自由主義は、1980年代にレーガン米政権、サッチャー英政権がこの思想に基づいた経済政策を進め、世界に広がった。日本では小泉内閣により推進された。中国で鄧小平氏が始めた改革開放政策も広い意味でこの思想の影響を受けている。

 新自由主義は格差を認める経済だといえる。その結果、自由放任の経済で稼いだ人と、成長から取り残された人の格差が大きくなりすぎた。資本主義の下では資産を持つ人に富が集まり、資産をもたない人との格差は必然的に広がり続ける。新自由主義を見直さなければ、資本主義自体が行き詰まり、階級社会が到来し、社会の崩壊が見えてきたのだ。

 バイデン米大統領は格差問題を重視する民主党左派の支持を得るねらいもあり、富裕層増税に動く。中国の習近平も「共同富裕」を提起し、鄧小平氏の改革開放路線を転換しようとしている。そして日本の岸田新首相の新しい資本主義である。


 岸田首相が唱える「新しい資本主義」はこうした富裕層の富を広く国民に行き渡らせようとする世界的な潮流の延長線上にあるとみることができる。問題は当然、具体的な政策にかかっている。富裕層課税のようなことを出来るのかどうかである。

 池田隼人氏の所得倍増計画が実現できた背景には、先行する米欧諸国から高度な技術や設備機械を導入すれば高い成長が実現できた。日本には農村において大量の労働力の余剰が起こり、勤勉で優秀な労働力が存在した。地方から都市に向かう労働力の拡大や、教育水準の高まりも成長を後押しした。

 一方、岸田氏が令和版所得倍増をめざす現代は、すでに外部的な高度成長の要因はない。日本人が自分たちで新事業を創出しなければ何も変わらない状況である。これはアベノミクスの10年間新規事業の創出は出来なかったという結果である。人口減少も経済成長には向かい風となるだろう。

 一方には中国という国家資本主義国という大きな壁が立ちはだかっている。どこかでこの国際競争から降りない限り、日本は敗北感を持ち続けることになるだろう。仮想敵国中国と考えている間は日本人の安心は遠い。人の暮らしの幸せというものを根本から考え直す必要があるということではないだろ
うか。

 あたらしい資本主義は前途多難である。いろいろ考えてみても、格差是正はされないとしか思えない。問題は新産業を作り出してゆくための国の姿勢にある。既得権を打ち破らなければ新しい産業は生まれない。原発利権を否定しなければ、循環型エネルギーは育たない。

 日本で新しい産業が芽生えない原因は政治と企業がもたれあって、互いの保身で精いっぱいだからでは無いのか。次の時代は過去の成功体験を引きづっていては開くことができないということだろう。その意味では、形や言葉だけでなく、本当の意味での渋沢栄一の思想に立つことかもしれない。

 社会の為に尽くす倫理を伴う経済活動が成長をもたらすという原点に立ち返る必要があるのかもしれない。人を出し抜いて勝利することが尊ばれるような経済では先がないということだろう。人類の倫理に従う、人間の幸せのための経済であれば、危険な原発にいつまでもしがみつくようなことはないはずである。

 誰か一人が良くなるのではなく、全体が良くならなければ自分もよくなることがない。そういう経済の仕組みを見付けなければならない。人間は自分のためよりも、人のために頑張る時の方が力が出るものだと思う。問題はそうしたみんなのための頑張りを社会が十分に反映できる仕組みを持てるかなのだろう。

 現代社会の一番の問題は、社会の基盤を支えてくれている人たちの待遇が悪い。コロナでの医療関係者の頑張りは感謝意外にない。しかし、その待遇が不十分だと言うこともよく分かった。要領よく下層の人たちを支配する側の人たちが富を独占しているということだろう。直接働く人より、指示をしたり、監督をする人の方が高給を取る。さらにすべてを支配する社長が高給取りである。

 その社長よりも資本家はさらに上前をはねている。そうした搾取の構造から、社会を直接的に支える人達の待遇が軽視されているのだ。それは社会の為に尽くすという倫理が軽視されている事にもなる。岸田さんの新しい資本主義はそういう構造改革までするのだろうか。

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