欧米で加速する東洋人差別
刈り取られた後のきび畑。
新型コロナウイルスの流行で、東洋人差別が白人社会で起こっている。世界に不安が広がり、日ごろ隠されているものが表面化してきたのだろう。世界が行き詰まり行き場のない不安が差別となって表れてくる。
白人の差別意識は相当に根強い物がある。人類は進歩したようでも、人間はそうは変わる事ができない。白人にはヒットラーに代表されるような優越意識が存在する。それは消えたように見えていても、内在化しているだけだ。
フランスにいた頃、いろいろの形で差別をされた。日常的なことはどうでもいいが、絵画における差別には腹が立った。日本にはたいした絵がないと面と向かって主張するフランス人の学生がいた。
当然のことだが、日本には日本の伝統的な美術が存在する。それは西洋美術とは違うが、劣る物ではない。フランスで西洋美術を学びたいと考えていたが、日本の美術を西洋美術の視点から考え直したいという気持ちだった。
彼は正直だからそう言ったのだが、大抵の美術学校のフランス人学生が、日本に美術が存在しないと考えているのはおりにふれて分かっていた。その文化的な優越意識から、様々な絵画の場面で差別的扱いをするのは許しがたかった。
こんなに沢山の日本人学生が、ボザールに来ているのにろくな絵描きがでないのは,そもそも日本には美術文化がないのだろ言うというのだ。そんな日本人が、フランスの美術学校で学ぶ意味がないというのだ。西洋美術の歴史しか学ばないのだから、どうしようもない。とは思ったが、根底にある差別意識は抜き差しがたい西欧中心の歴史観から来ている。だから、西洋美術以外の美術をフランス人が知ろうとしない。
白人至上主義の美学である。ギリシャからローマへそしてルネッサンス。白人の美術の歴史をすべてだと考えている。東洋美術を文化として認識できない。人文主義だけを重要と考えている。東洋のように、自然のひとつとしての人間観を評価できないのだろうと思えた。
日本ではフランスの文化相だったアンドレマルローが日本の文化芸術を高く評価した。と言われていた。あるいは印象派の絵画には日本の浮世絵画の影響があるとも言われる。そんな日本の文化の評価はフランス人学生の中にはまず感じなかった。東洋美術という考えは眼中になく、特殊な物のようだった。
中国の文化を評価するのは日本は中国の文化で育てられた国だからだ。文化的には日本は中国のおかげで成長できたと思う。西洋の近代絵画から学んだ物は大きいが、絵を描く意識は東洋的な考え方に近いと思う。
一番ショックだったのは、白黒黄色というレッテル付けだった。フランス人にしてみると、黒人は旧植民地からたくさん入っている。親しみがあり感覚的に阿夫利あの美術は理解できるらしい。私には正直アフリカの美術のことはよく分からなかった。フランス人にしてみると、縁遠いい、黄色人種は何を考えているか分からないので、気味が悪いという調子だった。
はっきりとそういうことを言われて、下宿のおばさんから出て欲しいと言われたこともあった。その頃、赤軍派のハーグ事件があり、日本人に対する反感がすごかったこともある。いくら下宿の引っ越し先を探しても見つからなかった。
ナンシーには元日本大使だったドランデールさんという方がいて、日仏友好協会があった。その助けでやっと下宿先が見つけていただいた。マダムフィリッツさんという歯科医の方の家に下宿させてもらえた。その方は絵の好きな方で、絵を描く人間と言うことで下宿させてくれた。一部の方が、日本に対して好意的であった。10年後にナンシーに再訪したとき、とても喜んでくれた。
思い出せばきりがないほど差別はあった。それが今再燃しているのだろう。コロナウイルスが怖いと言うことを東洋人は怖いと言うことにつながっている。全くとんでもない話だが、ありそうなことだと思う。下宿など出て行けと言われている人もいるかもしれない。
イタリアも1月31日に、世界保健機関(WHO)が台湾を中国の一部とみなしていることを理由に、台湾発着便の禁止を発表した。台湾にはここ半年中国の政治的判断で、台湾へは中国観光客は入国していない。WHOは判断ミスの上に、差別行為を行っている。
有名なイタリアの国立音楽学校が「東洋人の学生のレッスンを中止する」と発表した。どういう関連があると言うのだろうか。コロナウイルス以上に差別の方がひどいことになる。異民族はどうしても不気味である。慣れがないからだ。
テレビでは日本礼賛物が良く流れる。日本人の自信の喪失を補おうと言うかのようだ。世界で日本人は評価されていると思いたいと言うことだろうが。日本人は特別に評価などされていない。残念ながら、蔑まされていると考えて置いた方が近い。
ペストの流行と同じである。文明の転換期は病気がきっかけになると言うことはある。人間が膨張だけを続けて行くことはできない。新しい状況に落ち着くまでは様々な克服されたと思っていた差別が、表面化してくることだろう。